弁護士・検察官・裁判官は、なぜ「法律家」と呼ばれるのか?
…私の解釈では、ある程度は、「オレが法律だ」といえる感覚を持っているからだ。
たとえば弁護士として法律相談をしていると、いつか必ず、自分の知らない法律の使い方が問われる事件に遭遇する。
もちろん、自分の知らない法律だから、全く法的知識はない。
それでも、「法律家」たるもの、「たぶんこうなってこうなるんじゃないかと思います…よければ調べた上でまた」みたいな答え方をしなければならない局面がある。
そして、後で調べてみると、たいてい、ああやっぱり思ったとおりだった…という「法律家」が多いはずだ。
司法試験系は、このような「法律家」になるための試験である。
とすると、このような感覚を磨いて、ある程度、「オレが法律だ」状態になることも求められているといえる。
そのためには、法的知識を介在させずに、単なる直感で短答過去問を解く訓練も必要だ(法というのは、“常識や社会通念”といったものをルール化したものだから、結構多くの短答過去問で、このようなことが可能なのである)。
それで正解すれば、その問題については元々、“常識や社会通念”≒法的感覚があったのだから、自分の“常識”が変わってしまうような劇的な経験をしない限り、死ぬまで正解できる「オレが法律だ」状態のはずだ。
それで不正解ならば、その問題についての法的知識をインプットする以上に、自分の法的感覚≒“常識や社会通念”を修正することが必要だ。法的感覚が修正できれば、上記と同様、死ぬまで正解できる「オレが法律だ」状態になるからだ。
しかも、法的感覚≒“常識や社会通念”は、個々の法的知識にとどまらない普遍的なものだから、これを修正することで、大きな波及効果が期待できる。
というわけで、法的知識ではなく、単なる直感で短答過去問が解ける方が、よほどすごいことなのだ。
だから、もっと自分の感覚に自信を持ってほしい!
司法試験系は、本質的には、このような法的感覚≒“常識や社会通念”を問う試験だから。
いわば“普通度”を争う試験だから。
そして、私も含めて、割と普通じゃない人間も受かっているから…特に弁護士なんて、個性濃い人が多いよ~仕事の中でそうなった面もあるだろうけど。