というのは、結果論にすぎず、これを目的とするのは本末転倒だと思う。


まず、内容的な読みやすさについて。

たとえば、H25司法試験採点実感 p14(4)13行目~によると、「答案の文章表現や表面的な構成のような見栄えにばかり囚われ、」「見栄えばかりに拘泥し、」「内容的本質に関わる論述を欠く答案は、当然のことながら高い評価は与えられるものではない」とされている。

このような答案でも、「高い」評価が与えられないにとどまるので、中くらいの評価で合格することはできるという点は、誤解なきよう。

しかし、少なくとも、「答案の文章表現や表面的な構成のような見栄え」に独立の評価が与えられていないことは読み取れるだろう。


また、形式的な読みやすさについて。

p3(7)下から2行目によると、「丁寧な字で書くことは基本的なマナーである」とされている

…はぁ?戦場でマナー?寝言は寝て言え!!と、とりあえず言っておきたいよねえ。その前に、「緊張し、しかも時間に追われるので、字が乱雑になってしまいがちであることは十分に理解できる」という前置きがあるけど、受験生の現実を全く「理解」できていないことは明らかだ。

が、本論に戻すと、字の丁寧さというものも、「マナー」程度のものでしかないことも明らかだ。


以上のことは、採点者の立場に立つと、すぐ分かる(だから、4Aクリニックでも、同様の体験をしてもらった)んだけどね…読みやすさ自体に基準を設けて、具体的な点数を公平につけることは、おそらく不可能に近いのだ。

皆さんだって、テキストの好みってあるでしょ?採点者だって同じ人間だから、文体についての個人的な好みから脱することはできないわけよ。

で、好みっていうのは、一種の偏向・差別なわけで。それを合否判定基準(の1つ)とするのは、いかにも平等原則違反じゃない?


あくまで、得点につながる論述を、核心を突いてコンパクトにつないでいった結果、自然と“読みやすい”答案になるのではないでしょうか。