最近、書きたいことがとめどなく湧いてきて、意外にも更新が続いているなあ。

講義が1回休みで、表現欲が満たされていないんだろうか。


さて、

“地頭”って、何?

“才能”って、何?


「あいつは“地頭”がいいから。」

「私には“才能”がない。」

…自分の力ではどうにもならなくなったことを認める言葉にしか聞こえない。

IQなんかも、結局、IQテストができるか否かだけを計るものにすぎないという話をどこかで見たような。


本当に、“地頭”や“才能”で済ませていいのか?

自分の力ではどうにもならないのか?

仮に正攻法の努力ではどうにもならないとしても、戦略・戦術、方法論でなんとかできないのか?


…かつて、売れる音楽を作る“才能”がないことを認めた負け犬より。

試験における“地頭”や“才能”なんて、もし仮にあるとしても、音楽等の芸術畑と比べたら無視できる程度だと思わない?


私は、本試験で求められる“能力”とか、本試験に合格するための“能力”という言葉をよく使うよね。

これは、そういった“能力”は誰でも絶対に鍛えられる!という思いを込めて使ってるんだ。

たとえば、幼少期の教育で色んなことが決まってくるとか、そういった決定論的な言説もよくあるけど、少なくとも、そういうことを言う教育者には、お前は何のために教育してるの?とツッコミたくなる。

あ、幼少期の子を持つ親を教育してるのか…う~ん、嫌だなあ。