さっそく後期論文答練の添削の仕事をもらった。
義務添削2校120通分のうち、9通。先は長い…。

まだきれいに書ける赤ペンが手元になかったので、ザッと全体を流し読みしてみた。
めちゃくちゃショック受けました。
これ、もっと早い時期にやらせてもらってたら、サクッと受かっていたかもしれないと思う。

「基本で勝負がついている」と言われるが、その意味を鮮やかに実感できたんだよね。
とりあえず添削のやり方が分からないので、永山先生方式で、ザッと読んで上中下3つの箱に分けるというのをやってみたんだけど、ものの10分くらいでできた。
1ページ目で判別できてしまうから。
科目が民訴だったというのもあるかもしれないけど、
・上の箱:超基本論点がちゃんと「理解」できてる人
・中の箱:超基本論点がちゃんと「理解」できてるかどうか分からんが、「理解」できてないとも断定できない人
・下の箱:超基本論点を「理解」できてないことが明らかな人
という感じ。

ここで、「理解」とは何なのかについて考えてみたんだけど、少なくとも今手元にある問題に関しては、「問題の所在・位置づけ」に尽きると言っていいと思う。
なぜこの論点を論じるのか、どの条文のどの文言の問題として位置づけるべきなのか、条文がない論点ではどの段階やどの原理原則・要件効果に位置づけるべきなのか、といったこと。
処理手順、と言い換えてもいいかもしれない。
これで勝負がついていた。

別に問題提起で丁寧に問題の所在を示すべきだと言ってるわけではない。
むしろ、そういう答案は相対的に冗長に見える。
なぜなら、問題提起で丁寧に問題の所在を示さなくても、どこでその論点を論じるかという位置づけ・論理展開で、自ずから伝わってくるからだ。

俺は今年、できるだけ範囲を網羅する膨大な知識を入れる上で、論文でどのように書くかを常にイメージしていた。
そこで特に着目していたのは、「問題の所在・位置づけ」と自説の結論。
これらが記憶に残っていれば、その間は趣旨とかでテキトーにつなげられる自信があった。
あくまで俺の答案スタイルでは、という限定がつくが。
そういう知識の入れ方をしていたのが、論文での勝因の一つかもしれない。

これからボチボチ、論文での勝因分析もやっていこうと思っています。
でも、出題趣旨が出てからの方が、ちゃんと責任が取れる分析ができるんだよな…どうしよっかなあ。