なぜ本試験の論文が簡単だと思うのか。
「問いに答える」、これに尽きると思っているから。

問題文の指定する形式に合わせて構成する。
問題文の事情が何のために書いてあるのか、法律的に評価すべきか、あてはめで事実的に評価すべきか、それとも無視すべきかを考える。
あくまで問題文が主、自分の知識・思考は従。
問題文に配点があるという目で見ていく。
すると、書くべきことが透けて見えてくる。
なんだ簡単じゃん、と。

問題文の事情をどう評価するかも、それほど厳密な正解はなさそうだし。
どう評価しても触れさえすれば、それなりに点がくるのではないか。
色々な再現答案を見てもそう思う。
修習での起案でも、事情に触れてるかどうかで点数が変わってくるという話も聞いたし。

去年は、自分の法解釈能力・その科目全体の理解を示せば点がくると思っていた。
1年半もの研修がある以上、研修所で鍛えがいのある、潜在能力がある人材を採りたいのではないかと思ったからだ。
その観点から、現行司法試験法6条5項を曲解したり、再現答案を分析したりして、裏づけが取れた気になっていた。
それで答案を書くと、問題文から離れたものになってしまうことがよくあった。
でも、人材を選別するために試験問題を出している以上、その試験問題に答えられる能力を求めていると考えるのが自然。
そこから離れた自己アピールをしたところで、話の通じない奴だ、こんな奴とは仕事したくない、と思われるだけだろう。

以上も一つの仮説にすぎないが、とりあえずこの方向性で行ってみようと思う。
問題は、いかにこれを楽しむかなんだよな…俺の場合。
最初は新鮮だったんだけど、ゲームとして飽きてきた。