方法論批判シリーズ第3弾。なんかノッてきた。笑

今回は、悪名高い「論証パターン」(以下「論パ」)について書きたい。
結論から言うと、論パがここまで叩かれるようになった原因は、論証や思考がパターン化・画一化されたことにあるというよりも、むしろ、パターン化が甘かった点にある、と俺は思っている。

論文試験の答案で、適切な位置で適切な論証をしている限り、少なくとも減点することはできないはずだ。そのような論証を、皆がそろってやっているということは、採用者側としては、むしろ喜ばしい事態だろうし。
本質的な問題は、「適切な位置で適切な論証」をしていない答案がある、つまり試験委員のコメントとしてよく聞かれる、「皆が同じ間違いをする」ということにあるのではないか。
この問題に、感情的な愚痴が寄り集まって、昨今の論パを叩くステレオタイプができあがっているような気がする。完全に推測ではあるけれど。
感情的な愚痴というのは、「適切な位置で適切な論証」を皆がそろってやっているので、採点していて(減点できないけど)つまらないとか、個性重視ポリシーを持つ採点者が、適切な論パを減点できなくて悔しいとか、あとはとにかく「旧」試を叩きたいだけとか、そういったもの。こういう愚痴を言う人たちは、研修所の民裁メインテキストが「類型別」であることや、類型論というアプローチなどについても、同じようなことを言うのかねえ。

こういった感情的な愚痴は、司法試験合格には関係ないので無視するとして、「適切な位置で適切な論証」をしていないという本質的な問題を解決するにはどうすべきか。
ここで、論パという方法論を放棄するという道もあるけど、「適切な位置で適切な論証」パターンを使えるように、さらなるパターン化をするという道もあると思うんだ。
そのために最低限必要だと思うのは、その論点の問題の所在を把握しておくこと。
どういうときに、なぜその論パを使うのかを把握しておけば、「適切な位置で適切な論証」パターンを使える可能性が高くなる。こういう論パ外部の情報の方が、論パ本体より重要だと思う。

論パには、現場で論証を考える時間的・頭脳的負担を軽減するという効果が確実にある以上、「旧」試はもちろん新試でも、多かれ少なかれ使うことになる。
むしろ、論パを排斥するローがほとんどだからなのか、論パの需要が再燃してきている兆候があるという話もある。
この状況において、「論証パターン」という方法論の進化を期待したい。

ちなみに俺は、そもそも記憶の努力が大っ嫌い!!なので、根本的に論パとは合わなかった。
そこで、論点単位ではなく条文単位で処理することにして、その過程で出てきた不可避の論点については、基本的に趣旨からのキーワードリンクで対処するということにしていた。こうしておけば、現場思考を要する論証も、事前に準備していた論証と同じ手順で書くことになり、安定性も高まる。
なので、過去問などから事前におさえておくべきだと判断した論点については、
①問題の所在を把握し、条文の文言に位置づける
②その条文の趣旨を、現場で想起できる程度におさえる
③その条文の趣旨からリンクして結論を導けるキーワード及びそのリンク過程を、現場で想起できる程度におさえる
という作業を、できるだけやっていた。
そんな俺でも、寝てても書けるくらいにしておくべき論証なのに、本試験3日前になっても身体に叩き込めていないものについては、自分で論証カードを作って、付け焼刃的に丸暗記したけどね。
やはり、論パは多かれ少なかれ使うものだと思うのです。
偉い人にはそれがわからんのです。