いつ死んでも後悔しないように生きる。どうせ生きるなら楽しく。
この考え方は現時点ではちょっと手放し難い。
自殺願望を捨て去り、ここまで生きてくるための原動力だったと思っているからだ。
このような生き方をしていないと、また生きる意味を感じられなくなり、自殺願望が湧いてくるのではないかという恐怖があるみたい。
「人生楽しんだ者勝ち」というより、「人生楽しまないと負け」。
ネガティヴな、強迫的快楽主義。
人生とかこの世界について、非常に狭い、一面的な捉え方をしているのだな、と自覚。
かといってその捉え方を捨て去ることは今のところできない。
徐々に変えていった方がいいかも、とは思うのだが。

昨日友人と色々話してて気づいたこと。
俺は法曹資格をとりたいという欲望が、他人と比べてかなり弱い。
極論すれば、ホームレスだろうが法曹だろうが等価値。
それを楽しめるかどうかが問題だから。
安定とか権威とかは、むしろ退屈につながる可能性さえある。

今までは、表現というものに対して特別な思い入れがあった。
そして、法曹という職業は、望む表現が比較的しやすい職業だと思っていた。(「比較的」にとどまるけど)
でも、前に書いたように、表現というものに対する特別な思い入れがなくなってしまった。
もはや司法試験合格という一つのゴールは、ゴールとしての意味を持たない。
それで、どうしようかなあ、普通に就職したりした方が手っ取り早いよなあ、とか考えてた。

それでも、ここまで司法試験の勉強を続けてきたのは、それ自体に楽しみを見出していたから。
まだまだ味わい尽くしてない楽しみがあるのではないか、と思った。
ここからは楽しめるかどうかが勝負。
楽しめれば受かるし、つまらなくしたら落ちる。
まあそうとは限らないけど、そう考えたら何か面白くなってきた。
合格の苦労を語る多くの人たちの中で、「楽しめたから受かりました」とかチャランポランな合格体験記を書いてみたい。笑
ただ、司法試験・法をもてあそびすぎた去年の轍は踏みたくないから、一定の枠ははめる。
去年は粘土遊びという感じだったけど、今年はブロック遊びをする。
レゴブロック、大好きだったなあ。あの感じでいこう。

闘う相手が明確になった。