『育児』って、なんだろう。 | 田島さゆ の ♡夢見るカラダのお伽噺♡

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旦那「ウチの市って待機児童ゼロなんだって。」
さゆ「あー。この辺、何気にいっぱい幼稚園あるよね。でも3年以上後の話だよね。」
旦那「んー?もっと早く預けられるみたいよ〜」
さゆ「えー。いや〜。レイちゃん(ベビー)と一緒にいるー。」

(ん?わたし子育てしたいのか??)

と、言う会話があってから
妊活・出産・子育てについての自分の認識を
ゆっくりじっくり観察しています。


《妊活》は、
気持ちいい幸せなセ☆ックスをすることハート

それだけだと思ってたし
子ども欲しいのか自分では分からなかった。

ただ、幸せなセ☆ックスが出来るようになった頃
妊娠してもいいなぁって思うようになってたイエローハーツ
そしたら妊娠してた🤰
この段階では「子どもが欲しい」じゃなくて「妊婦になりたい」だったように思う。


《出産》は、
まだ未知過ぎだけど、いまの気持ちは
スルッと気持ちよく元気な女の子を産みたい。


《つわり》は、
自分のカラダや子宮・赤ちゃんとの対話のひとつのカタチだな〜って感じてて、
生理痛とかって数日耐えれば抜けるって分かってるから我慢でも乗り越えられたけど
いまは痛みや張りがよりクッキリ来るし
動けないからこそ、ゆ〜っくりと
探り探り快適に過ごす術を試行錯誤してる。
その時間が意外と楽しい照れ

一人きりの世界が豊かになっていっている。

この積み重ねが《産む》って事かもしれないね。



《子育て》は、
する気ないです、わたし。

子どもは育てなくても育つと思ってる。

わたしの母は、
そばで一緒に笑っててくれる存在で
《子育て》して貰ってた気がしないんですよね。
押し付けられなかった。
コントロールされなかった。
栄養と安全と娯楽を共有していた。



最近、妹と話してて改めて発覚したんだけど、
子どもの頃からわたしって
ヒトの話を聞いてないらしい笑い泣き


父は酔っ払うと口煩いんだけど、
わたしは聞いてないから
コントロールのしようがなかったみたいww

「さゆみは言っても聞かないイラッ」と両親は苛立ってたみたいだけど、わたしはそれも聞こえてないからww

都合のいい事しか聞こえないって幸せよね〜唇くもり

妹は周りが見えるタイプだから、
「なんでお姉ちゃんは聞かないんだ???」っと
なかなか迷惑を被ってたようです笑い泣きごめんよ〜〜
だがしかし、そんな姉を見て、「あゝ、他人の話は適当に流して良いんだ。」と学んだそうな。
これこそ、楽に生きる秘訣流れ星かもっ


話を戻そう、《子育て》。


「子育ては大変」って集合意識があるけど
うちの母は「全然大変じゃなかった」と言い切ってた気がする。

テキトーなお母さんでゴメンね〜っとよく言ってたなぁ。

そんな母の在り方が
娘たちには完璧だったように思う。

実際最高の母だけど
例えばダメな母だったとしても
子どもにとっては
どんな母でも「偉大」なのよね。


ってことはさ、
母は母であるよりも
自分で在ることが一番な気がするなぁ赤薔薇


まだまだ観察中。
今のところの結論はありませんてへぺろ

キヲクのキロクで今日はおしまいっ。


子供の頃のなぞの写真w


妊娠期間って、
すごい贅沢な時間かもしれない。

子宮界隈に血管・血流がぐわんぐわんに巡る。

体調の変化を丁寧に感じる時間。
動けない今、他人に気を使う余裕がないから
ひとりの世界の豊かさを感じる。


他人に気を使わないでいると
他人から親切にされるし。

他人に気を使ってる時にされた他人からの親切は、
同じ親切だったのに、何らかの見返りのように感じちゃってたようです。

小さな親切に素直に感動する。


人脈も金脈も目に見えないけれど
密かに育っている気がする。


まったく動かない事で
自分の純度が高まっている。