夏期講習も始まっていることと思いますが、夏期講習が天王山といわれる理由は、これから先には、これ程の空き時間を見つけることができないからでしょう。当然、全ての受験生は必死になって努力していることでしょうから、この時間を無駄に使ってしまうと、取り返しのつかないことになりかねません。

できる限り時間を取って勉強できるように環境を考えていましたが、不安だったのが、この天王山で息子が効率よく勉強できているのだろうかということでした。
同じ時間を勉強するとすれば、質の違いがものを言うでしょう。
時間はあっても、効率よく仕事するということは、大人でもなかなかできないものです。ましてや、志望校別はあっても、個人のレベルに合わせて指導してくれる塾というのは少ないように思います。

宿題やテキストは山のようにいただいて来ます。
しかし、大量のテキストは、あくまで最上位の方を基準に作られているようですから、当然、普通のお子さんには終わるはずもなく、我が家も例外ではありませんでした。
最上位の方が、終わってしまって、時間が余りましたなんていうカリキュラムでは、それも困りますよね。

そういうわけで、夏期講習の終わりごろには、純粋無垢なテキストが、そこここ転がっていましたが、普通にやっていては終わらないようになっているハズですから、もったいないから全てやろうなどと、目くじらをたててると、体を壊しかねませんので、
くれぐれも、気をつけてあげてください。

では、どうするかというと、やはり、適正なレベルの問題を、適正な方法で繰り返し解くことが重要なのかなと思います。この、適正なというのが、ぶれてしまって、結局、絨毯爆撃の根性論になってしまい易いんですがね。

そのために、夏期講習のカリキュラム内容をフォローして、必要ないものはやらないように考えてあげる。しかし、やった内容は着実に身につけるようにその日の内に徹底する。明日に残さない。明日は、明日でまた別の内容をフォローする必要があるからです。

日々起承転結で終わることは、簡単なようで難しものです。
忙しさにかまけてテキストをやり散らかしてしまうと、やった量に対して、残るものが少ないことに気がつくでしょう。

夏休みは良い機会ですので、講習のテキストをじっくり見返して、結果を、夏以降につなげるために、
量とともに、精度を上げていく勉強法を行いたいものです。

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時々、次男に生まれたらどんなにか自由だったろうと思うことが有ります。

まあ、本当にそうかどうかは別にして、生まれる環境は選べ無いじゃないですか。
当然、ある環境の中で育っていくのでしょうが、
植物の生育が日光や地力、雨量などの環境に影響されるように、また、人の思想も、良かれ悪しかれ、その環境に影響されて育っていくはずだろうと思います。

そして、いずれ
ポッドで育てた苗を植え替えなければならないように、成長に従って、最適な環境を整えていくことは、人においても重要であるように思います。

環境は、社会と言い換えても良いかと思います。

日本に生まれた我々が、ある時までは他国の文化を知らなかったように、環境を変えなければ、計り知る事のできないものの考え方というのは、養老先生に言われるまでもなく、当然あると思います。

日本国内でさえ、居住している社会が異なれば、常識と思われることも変わるでしょう。田舎と都会とか、九州と北海道とか、情報の発達した現在では、環境が均一のように思われがちですが、少し前は
話す言葉も理解できないくらいの違いがあったはずです。つい50年ほど前の考え方などは、同じ日本人でも想像もできないかもしれませんね。

もっとも、50年前の自分がどの様な考え方をしていたかなんて忘れてしまうのでしょうが。
小学校に入学したときの不安、新しい音楽に出会ったときの新鮮な驚きは、なかなか忘れがたいものですが、しかし、それも年とともに単なる記憶に変化してしまうようです。

成長の過程においては、確かに、常に新しい環境が人を変える(作る)といって、ほぼ間違い無いように思います。
自ら変わらざるを得ないのかも知れませんが。

或いは、蟹は自分の体に合わせてしか穴を掘らない、というように
環境に従ってしか成長できないのかも知れません。そういった状況では、環境に合わせて知覚できない固定概念を作り上げてしまうことでしょう。ですから、その環境に入りきれなくなったと感じた時、或いは、また別の環境の存在を知った時、自分の意思で、積極的に変化を求めることができるかどうかは、重要な点の一つだろうと思います。

物理的な環境か精神的な環境かという選択は残されているものの、
しかし、多くの小学生が物理的な選択を自分ですることができない以上、そのタイミングを見つけながら、環境を整えてあげると言うことが、必要なことだったと思っています。
そのうち、ヤドカリが殻を変えるように、成長に従って、上手に環境を変えていくことを覚えることでしょう。

今、中学受験という環境を抜け出し、次に向かおうとしている息子によって、少しずつではありますが、明らかに我が家の環境は変わりつつあると感じています。
私は、そろそろ私の固定概念を捨てて、息子のもたらす新しい環境に備えなければならないのかも知れません。

環境が人を変え、変わった人が、次に環境を変えていく。思えば、歴史とは、その積み重ねに違いないでしょう。
我が家にとって中学受験は、やはり偶然ではなく、環境を探した結果、たどり着いた一つの答えだったように思います。

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合不合予備を終えて、今時分の感想は、日暮れまでの時間が近づいてきたし、目的地も直ぐ其処に見えているのに、どの道を行けば最も安全なのか、目的地までの道順がどうもはっきりしないので思案に暮れていた、といった感じだったでしょうか。

あるいは、見えているはずの目的地がどの辺に位置するのか、そもそも後どれくらいの時間で到達できそうなのか、未だに目算できないというような、なんとも不安な日々でした。

山中で火を見る(日暮れる)者はいない、ともいいます。
合不合予備の点数も思ったほどはあがらず、志望校別の対策ばかりやっていて応用が利くのだろうか、と考え悩んで希学園に相談に行ったことを思い出します。

結論は・・・私のわがままで、好きなようにさせていただきましたが。

夏休みで注意すべきは、終わりまで結果を待っていてはいけない、と言うことだったのだろうと思います。模試の初めの山は、夏休み明けかと思いますが、そこまで待って、夏休みの結果を試していたのでは遅すぎるのかなと思います。

夏期講習でも、日々のテキストがあるので、誰かがしっかり見直して、日々弱点を捉え、起承転結で一日を終わるのが良いように思います。

それから、夏が終わると暗記物をやる時間も惜しくなります。
時間が有ると思うと、かえって後回しになるものです、休み時間の五分でもできるはずですので、思い立ったら直ぐやる。傾斜配分はしますが、特定の教科にばかり偏らないで、四教科まんべんなく対策することも重要でしょう。計算などの単純ミス対策は、特に開始前にミス対策だという目的をはっきりさせて実施することが、本人の自覚の定着には必要です。

夏休みが終わり、合不合の結果が出るようになると、夏休みの入力と出力を比べて、自分の立ち位置も、見えている目的地の遠さも、段々と明らかになり、日暮れて道遠し、を実感することになりました。
良く天王山という言い方をされますが、行くか戻るか、思案のしどころが夏なのではないでしょうか。子供の評価は塾任せではなく、自分で行いたいものです。

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一応外資系に勤めていたりする。

外資系は実力主義だと言われている。
確かにそうかも知れないが・・・
よく考えて欲しい、
もし実力があったりして、その実力を誰に理解してもらえば良いのか
誰に見せればより効果的なのか?


2△年前に外資系に転職して以来、
もはや、日本企業にはついていけない体になってしまいました。
そのころはまだ、外資というのは、それなりに珍しかったが、今では、さてどうなのでしょうか。
そういえば、日産も外資ですよね。

日本企業から外資系に移って、決定的に異なるなって思ったのは、人を育てると言うことでしょうか。もちろん個人的な経験に基づくだけの理解ですので注意してください。

外資系には教育体系がない、と言うわけではありません。
外資系では、十分な予算も体系もできあがっていながら、教育を組織に生かす仕組みをとっている日本法人というのは、少ないのではないかと思っています。

どういうことかというと、人を育てるという意識を持った上司が少ないように思います。
(日本企業でもそうかも知れませんが、笑)
なぜなら、上司は直接的な結果を求められるし、
単年度評価で、プロジェクトが成功するかしないかの瀬戸際では、
二、三年後を見越して人を育てるなんて悠長なことは言っていられないのが現実です。
そんな先に自分がいるかどうか、判らないわけですからね。
人を育てるよりも、与えられた戦力でどう戦うかを考えざるを得ない。

あるいは、だれに、実力を示すのかという点にも関係すると思いますが、
教育して誰かを一人前に育てたとして、誰がそれを認めるのでしょうか?
もし、自分よりできるようになったりしたら?

教育が、自分の組織の強化に直結するという、
まさに日本企業の仕組みがないと、右腕を育てつつ組織を固めると言うことは難しいように思います。あるいは、誰かの右腕になりつつでも良いが。
育ててあげたいのは山々だが、なかなか、その余裕がありません。
今のところの結論ですが。

方や、私は富士電機さんやセイコーエプソンさんに育てていただきました。
特に、富士電機さんでは
、会う人全てが、しっかりしたものの考えを持っており、それが組織に反映されていたと思います。セイコーエプソンさんでは、人情味のある人が多かった。
二十年以上前の話ですが、今でも、御世話になった人を思い出します。

ブログでも英語を、どうしたらよいかという話題が上ることがある。
息子も英語を始めて四苦八苦している。
それはそれで、必要なことだし、私が中学の頃に比べれば、だいぶ進んでいると思う。
私もそれなりに英語らしきものは話すが、しかし、残念だが、いかんせんレベルが違いすぎる。日本で学ぶような英語では、とうてい太刀打ちできないと言わざるを得ない(と思う)。手加減せずに、徹底的に高尚な書き方してくる英国人もいるし。

自分の失敗を繕うのも英語なら、自分の計画をプレゼンして信じ込ませるのも英語、給料を上げてもらうのも英語、いやなら辞めるよと言うのも英語。

でも誰に?

外資で国内採用では困難が伴うと言うことです。
狙うなら、本社と直接交渉できるようなレベルでないと。

自ずと答えは出てくるが、この年で今更そこまでやるつもりも、実力もまったくない。
さてどうしたものか。
しかし、習得した経験や、実相はなるべく伝えてあげようと思っている。
息子が、その方向に行きたいと言うならばだが。
今思えば、我が両親も私に伝えたい技術があったに違いない。
私は、鼻から、気がつこうともしなかったのだが、この年になると判るような気がする。

ちなみにカミさんはパイロットになりたかったらしい。
しかし、誰もパイロットになるために何が必要かを教えてくれないうちに、あれよあれよと社会人になってしまったと。
皆さんは、そういうことはないと思いますが、早めに目標を定めておかないと、気付いたときには挽回が困難と言うことは有るかも知れない。

仮の目標は親が示すと言うことも必要でしょうか。
今日は雑談でした。

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併願校選びの五日目です。
なぜ併願校にばかりこだわるかというと、第一志望校を決めることは、それほど条件が複雑では無いように思えます。どうしても行きたいという処でしょうから。
一方、第一志望校に合格できることが望ましいのでしょうが、人数的にはそうならない方のほうが多いだろうと思います。

我が家の話は特殊でしょうから、そんなに参考にはならないと思いますので、話半分に読んでください。だからなるべく、中学受験だけでなく一般的な 話も含めて書きたいなとは思っているんですが。


さて、ここまで生きてくると、悔しい思いをした記憶は数知れないのですが、
その中でも、特に後々まで尾を引いているのは、もうできない、というところまで頑張った場合ではなく、もうすこしやりたかったのに、何らかの理由で途中で断念せざるを得なかった場合だったように思います。心残りといいますか。

私の場合は・・・・
自分の力不足を認識して悔しい思いをしたのではなく 自分では、もう少しやれば何とかなると思っていた(ホントカヨ)。しかし、浪人するわけにはいかない。

もうちょっとだった、という気持ちが、いつまでたっても消えないから、またもう一度チャンスが有るかも知れない、なんて、当然有るはずもないことを、社会人になって相当経ってからも
諦めきれずに、いまだに心のどこかにずっと思っている。

夢を追い続けていると言えばかっこいいかも知れないが、相当なコンプレックスかも知れない。そのうちに、息子が受験する年になってしまいましたが・・・

それはともかく、
自分の経験からしても、十二歳くらいで、このあたりまでしかできないかな、という、妙に納得した限界を植え付けてしまうような志望校の選択にはしたくないのですが、
それは、できそうな所だけ受けていれば良いといのとも違うし、
かといって、とても無理そうなところを、何がなんでもというのとも違うと思う。
どこのご家庭でも、この辺の匙加減に悩んでいるのではないかと思っています。

できれば本人の好きなように、なるべく悔いの残らない人生を歩んでもらいたいと願っている。しかし、こと受験においては、我が家の目的がどこにあるにせよ、偏差値で否応なく結果がでて、社会から評価されてしまいます。

それでも、第一志望校をあきらめきれない本人は、希望を成就すべく、突き進まなければならない。
しかし、
第一志望校はそれでいいと思っている。

だからこそ、なおさら、第一志望校が残念だったら、何も残らないというという結果主義ではなくて、次のステップにつながるようなプロセスが残る併願パターンにしたい。
自分がどれだけ頑張ったかと言うことを自覚できる。
そのためには(それを自覚してもらうための方法として)、受験において、世の中の壁の越え方を習得していくことが一つの理想、だったように思えて来ます。

結果は、もちろん、ついてくれば素晴らしいことだし、
一度越え方を学べば、後は自分の好きな道に応用できるだろう、と思っている。我が家が書くと負け惜しみのようにも聞こえてしまいますが、受験というプロセスの中で、自分だけが得ることのできる、自覚を勝ち取れる併願校選びが重要な位置をしめているハズだと考えています。

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いやぁ、暑くなりましたね。
今時分になると、毎年お腹の調子がいまいちです。腹が凝っていると言いますか、夏は思ったより体力を使いますので、冷たいものはほどほどにして、栄養バランスの良い食事に気をつけて下さいね。

さて、新人を教育していて面白いなと思うのは、自分なりの仕事の対応の仕方ができあがっている人と、そうでない人で明確に分かれることでしょうか。


仕事で、どういう問題が起きたとしても、自分で考えて、対応方法を見つけ出し処理して、報告する。
問題解決能力、とでも言いましょうか自分独自の方法論を持っている人とそうでない人に分かれるように思います。

自分で、自分の問題点を極めて明確に分析把握できる方というのは、
 一定の分野でそれなりの力を発揮しているように思います。すくなくとも、問題点を前に何をしたらよいのか途方に暮れることはありません。
どこでそういう方法を身につけてくるのか、この人うまくやるなと思うことがあります。

ところで、人生ではいろいろな壁に当たります。
そのとき、どのようにして壁を乗り越えるのかは、壁の乗り越え方のような学問が有るわけではないので、あまり意識しないで、経験的に身につくことだろうと思います。
あるいは誰かの対応を見て学ぶとか。
だから、もしかしたら、わからないと言うことがわからない でも少し述べましたが、経験から学ぶということを知らないが故に、何をどうして良いのか判っていないのかも知れません。

遠回りするのか、引き返すのか、壁が低くなるのを待つのか、
ぶち当たって突き抜けるのか、砕け散るのか、低い壁を探すのか、無視するのか、壁の種類によって、壁の乗り越え方にもいろいろ有るだろうと思います。

毎回ぶち当たって、突き抜けていたのでは身が持たないかもしれませんね。


ホトトギスの例えに言われるまでもなく
、どれが良いと言うことでは有りませんが、
  現状分析-状況判断-手段選択-対応実行
というループが閉じた壁の乗り越え方のパターンを一つ作るだけで、壁を壁と認識しないで越えられるかも知れません。

壁の越え方は、自分の経験から学ぶものがもっとも強力なのでしょうが、越え方についての見方を、どこかの時点で一度まとめて考えておく、あるいはお子さんに話しておくと少しは違うのかなと思いました。

ブログを書いていると、あっという間に一時間も過ぎてしまいます。

なけなしの頭で、少しは推敲のまねをしたりすると、さらに時間がかかります。
ものを書くというのは、それはそれで好きなことなんですが、時間が取れずに、時々飛ばしたりしますので、ご容赦ください。


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本を読むのは好きな方だと思うのだが、読む分野が偏っている。

何でもかんでも片っ端から読みあさるというのではなくて、読んで気分の良いものしか読まない。それで困ると言うことも今となってはもう無いだろうが、しかし、面白いかどうかなんて、有る程度まで読んでみないとわからないものだから、まれに、つまらない本を買ってしまったりすると、いくら安い文庫であったりしても、二、三日は、ひどく憂鬱な気持ちになるものである。
しかし、捨てるのは心許ないから、家族の誰かがいつかは読むだろうと思って、読まなかった本の分類として、本棚の片隅においてある。

読む分野が限られているものだから、面白い本というのは、そう無尽蔵に 有るものではない。だいたい、一冊読んだ作者の本が面白かったりすると、その作者の本は読み尽くす傾向にある。大方は、既になくなられている方であり、滅多に新しい作者の本は読もうという気が起きない。

だから、最後の一作になっても、もっと他に読んでない作品がないだろうかと、探し回ることも多かった。故人の作品が、もうないとわかったときの落胆はひどいもので、いっそ、自分で続きを書いてしまおうかと、分不相応な企てを考えることもあった。

困ったことに、読んだ側から忘れていくらしく、
ある時など、読んだのを忘れてしまって、同じ本を二冊本棚に並べてしまったことがある。書店の片隅に並んでいた作者を見たとたん、どういう訳か、未読の掘り出し物という感覚がわき上がったようで、つい購入してしまった。

千冊を超えたころの話である。
同じような間違いを二度三度して以来、データベースを作るようにした。
それまでも、辞書のように、あいうえお順に手帳に書き込んでいたのだが、いかんせん、使い勝手が悪く、いつも持ち運んでいるわけではないから、いつの間にか更新しなくなってしまった。

もちろん面白くなくて読まなかった本も、しばらく未登録の場所においとくのだが、そのうちに、二冊目を手に入れて悔しい思いをするのが、面白くない本だったりすると最悪である。それ以来、
書店で購入するのは、決まって買っていなさそうな、新人に近いものにしている。今では、データベースを見ながら、持っていない本をネットで注文できるのだから楽ちんである。

最近、ふとしたことから、向田邦子の作品を購入する機会があった。
たしか、あまり読んでいない作者のハズだったが、しかし、父の詫び状など、読み進んでいく内に、どこかで読んだような気がしてきた。
久しぶりにやってしまったかと、胸騒ぎがして、あわててデータベースを見直したが、やはり、購入はしていなかった。

しかし確かに、読んだ記憶はある。
それなら、どこで読んだのか。
もしかしたら登録してなかった本があったのかなどと本棚を眺め回し、既に箱に片付けてしまったものなら、確認するのも面倒だなどと考えたあげくに、そういえばと、息子と勉強した受験のなかに出題されていたことを思い出した。


受験の国語に取り上げられる作品は、読んだものもあれば読んでいないものものあるが、総じて秀作揃いで、読んでいないものは後々購入して読もうと思っていた。国語の問題として出された作品から広げていくというのは、偏った分野を矯正する方法として適当だろうと思った。面白そうな所だけ、前もって拾い読みできる訳だし。

息子も、問題を解くと言うよりは、問題を読むのが好きだった。だから、いつかは問題の作品を買って読ませてやろうと考えていたのだが、受験の忙しさにかまけて、ついぞ、そういう時間がとれず、それきりになってしまった。直接的な結果を求めなければならない、受験の弊害と言えば言えるだろう。

私も、眼鏡をかける様になってからは、昔のようにおいそれと一晩中読み続けると言うわけにも行かなくなったのだが、向田邦子を読みかえして、もっと沢山読ませてやろう思っていたことを、ふと思い出した。

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引き続き併願校選びの話の四日目です。

最前線で仕事をしている者にとって、目的と目標は、もちろん直接的には眼前の一つであるべきです。しかし、政治的には、また別の最終目的と最終目標があり、個別の前線の目的と目標は、その最終目的や目標を達成するための手段であることが多いと考えます。

勝つか負けるかといった白黒をつける言い方は、潔く負けを認める日本人的な思考であり、傍から見ればわかり易いのでしょうが、現実的には、負けて無条件降伏ではなく、負けてなお条件闘争に持ち込めるだけの戦略をひねり出すべきでしょう。

その考えに立てば、併願校選びは最終目標が達成できるような選び方、一か八かではない、慎重を期した選択にすべきだろうと思います。
当初の我が家の併願校は、最終目標も見据えながらではありましたが、あくまで安全を優先した、常識的な選択になっていたと思います。たぶん。

話がそれましたが。

併願校の一つは、日程上の理由で、当初から候補には挙がってはいたのですが、(本人としては)直前まで受けるつもりのない学校だったろうと思います。というのも、希の先生とは、ぜひ受けさせたい学校の一つだと話し合っていましたが、80偏差値が本人の最高偏差値にやや足りず、併願校としては危険水域だろうという意見で一致していました。

しかし、家族としては、名の通った伝統校であり、一月校の出来次第によっては、脇を固めてから、受けさせてみたいとも考えていましたので、願書をそろえ、09年度の過去問をポツリポツリと試して、手ごたえだけは見ていました。

願書は取りに行かないといけないところでしたが、土曜日に、まとめて何校か願書収集に回りました。少し涼しく感じるようになってからでしたが、中にはすごい坂道のところもあり、汗をかきながら願書をもらったことを、懐かしく思い出しました。


安全策から積極策に打って出た理由というのは、一月で脇が固まったこと、一月校の結果では過去問との相関が取れそうだったこと、併願校の過去問のできが良かったことでしょうか。

最後は、本人の意見です。
80偏差値に足りない状況を話した上で、
過去問の感触から、いけそうかどうかを、判断させ、万一の場合もありうることを了解して もらいました(というか、悪いですが、その可能性の方が高いだろうと思っていました)。
結果的に、この積極策は成功し、直前に変更した併願校は合格しました。

本人曰く、ひねりが少なくて簡単な問題だった。
本当かよパンチ! 残念だった4日の受験校でも同じ事いってたよね。


反対に、思えば、どうしても難しかったのが、第一志望校の国語でした。最難関と言われるところでさえ、国語は合格者平均は超えていたのに、第一志望校の過去問では、合格者最低点を超えるのがやっと程度。
どうしてこの学校の国語だけが、とだいぶ悩んで対策したつもりでしたが、やはり、これでは難しい。

それはさておき、
我が家のように、直前まで判断がずれ込んでも、十分対応は可能だろうと思いますので、今の時点で、併願校がはっきりしていないとか、志望校がはっきりしていない、ということを気にする必要はまったくありません。ただ、直前で変更ができるように、出願の準備は怠らない、ということだと思います。

第一志望校を目標にガンバレ、と本人の前では言明していても、出題傾向に大きく左右されがちな中学受験のことを考えれば、万一の場合の後ろ備えとして、それなりの併願校を用意しておくことは、その後の進路を決定する上で、極めて重要なことだろうと、入学式が済んだ頃になって思いました。


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鶏と卵の話かもしれませんね。

直前で併願校を見直した我が家の経緯からすると、志望校に合わせようとしたのがチャレンジ校で、合いそうな志望校を探したのが併願校、最悪の事態を避けたのが押さえの学校、直前の状況を見極めたのが一月校、という位置づけだったでしょうか。
しかし、それは結果としてそうなったのであって、初めからそこを狙っていたのとは違いますから、どちらでも良いように思いますが。

このブログをはじめて四ヶ月がたちましたが、主題である、なぜ中学受験をしたのかについて、少しずつ我が家なりの理屈が形成されつつあるように思います。

断片的には書いていますが、それまでの努力の結果がどこまで通用するのか、どこかで腕試ししてみたい、という気持ちが有ったように思います。
ですから、傍からみれば、結構無謀だと思える学校にも平気で挑戦しました。

どちらかというと、手段に近い考えでしょうか。
我が家の中学受験は、そこに山があるから登ったということに似ているように思います。もっと言えば、息子との六年間の目標は、中学受験という山でなくても良かったのではないかと思えてきています。

水泳でも、テニスでも野球でもよかった。
ただ、それだと私が一緒にできないので、私の都合で算数にしてしまったような。

中学受験はもともとカミさんの意見で、私は、高校受験のための習慣づけのつもりで、知っていることは、なるべく早く教えてあげたかった。そのうち、本格的に教えるには、やはり本格的な講義をしてくれるところが良いということになり、中学受験に進むことになった、でしょうか。

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中学受験が何か?なんてわかって受験しておられるご家庭があったら、それは、もしかしたら、何代も中学受験をしている、伝統的なご家庭なのではないでしょうか?
ブログを書き始めて、何故中学受験だったのか、理由を求めてから、つくづくそう思います。

そういうご家庭には、世相は変化しても、変化せずに代々受け継がれる、ノウハウというか、処世術というか、もっと広く考えると、一代で終わりと考えずに、受け継がれていく精神のようなもの。う~ん表現が難しいですが、何かそういうものが、あるんじゃないかって、最近思っています。特に、入学式を見に行ってから。

人は易きに流れる。
生まれながらに人ではなく、教育によって人になる。

ということを思えば、一代で見つけたものが、受け継がれずに、そのまま葬り去られるのは、いかにも効率の悪いことである、のかも知れませんね。

三代続いてさえ、基本思想ができあがりつつあります。それは、一代で果たせなかった夢というものかも知れませんが。強制するつもりは毛頭ないのですが、本人もその感覚というか、雰囲気というか、秋波というようなものを、感じているようです。
口には出しませんが。

何かの力がその方向に向かわせているとしか言いようがありません。
その流れの中では、
私もまた、単に中継の役割にすぎないのかも知れません。
まあそうでしょう。
ブログを書き始め、少しずつ振り返りながら、我が家は、なぜ中学受験に走ったのか、だんだんとわかってきたのではないかと感じ始めています。

しかし、塞翁が馬の喩えもあり、また禍福はあざなえる縄のごとし、でしょうから、それが良かったのかどうかなんて、やっぱり人知の及ぶところではないように思うのですが・・・
結論のない話でスミマセン。

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超えてみないと高さがわからない山もある
何の話かと言えば、併願校選びの話です。
もちろん物理的な高さということではなく、感覚的な登りやすさの話です。
相性とでもいいますか・・・。

我が家の併願パターンは、一月に入ってから、本命入試の直前で大きく変わりました。結果的に、それまでの一月校の三校の入試結果、都合四回を見てから、押さえの学校を受験する直前に考えを変えた、と言うことですから、一日まで一週間もなかったように思います。

それまでの結果のうち、三回は得点や分布を開示してくれる学校で、一校は試験問題の持ち帰りが可能でした。四回の結果は二勝二敗でした。二勝一敗は想定通り、もう一つは、行けると思った所でしたが、体調を崩して失敗。これについては強行な計画が良くなかったと反省しています。

実際の試験を何回か受けるようになってから、得られた貴重なデータで、いわゆる学校との相性というものを再考しました。
技術屋としては、相性という言葉で片を付けるのは嫌ですが、明確な要因を分析できていないので相性としておきます。おそらく、得意とする分野や、出題の仕方をしてくれる学校、ということなのだろうとは思いますが。

と言うわけで、今の時点ではあまり詳しくは書けないのですが、我が家の場合は、受験した各中学校の過去問の点数や分野と、実際に受験した結果について、
極おおざっぱですが相関が有りそうだということがわかりました。
得意不得意がはっきりしていた、という意味かも知れませんが。

その結果、急遽併願校を変更し、いわゆる過去問の相性の良かった学校にしました。
実際の併願校も含め、万一の場合を考え、検討した学校の願書は、ほとんど取り寄せてありましたが、まさか直前で変更するとは考えていませんでしたので、真剣に話し合ったことを思い出しました。

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見えている山ほど、実際に歩くと遠く感じるものです。
目で見た感覚と、歩いた体感が異なるということなのでしょうね。
つい手が届きそうなくらいに見えているからといって、そこを目算に歩いていると、思ったより遠くて嫌になることがあります。

過去問として、古い順に解くように指導されているところが多いようで、今年の入試問題というのは、最後になることが多いと思います。
もし、併願校に悩んでおられるのでしたら、早めに今年の過去問を実施してみて、合格者平均点だけに気を取られずに、分野ごとの傾向が今までのお子さんの合不合などの得点傾向に一致しているかどうかを見ていくことで判断する、というのも一つの手段だろうと思います。

受験生暑さに負けるな。うお座
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