ご訪問いただきありがとうございます。

神戸の津軽三味線・民謡教室、

講師の翔田光千穂です。

 

 

 

 

2026.3.某日

生野銀山に行ってきました。

 

にほんをうたうコンサートvol.3

「ひょうご五国を唄う」をテーマに掲げ、

但馬国で生野銀山石切節(せっとぶし)を唄うにあたり

現地に実際に行ってみたいなと思ったからです。

 

生野銀山石切節保存会の会長・谷住さんが

師匠とご縁があり、

兵庫県民謡祭でも保存会のみなさんと

お話できたことをきっかけに、

ありがたいことに鉱道と生野の町を

ご案内いただきました…!

 

 

鉱道に入る前にまずは腹ごしらえ。

名物・但馬牛オムハヤシをいただきました。

ハヤシライスは明治以降

鉱山の社宅でよく食べられたそうです。

おいしかったー!

 

 

 
 

 

いざ鉱道へ!

 
この日は寒かったのですが、中はあたたかくて適温でした。
 
生野銀山は開山1200年…
800年(大同2年)に発見され、戦国~江戸の天下を支えました。
明治に入り政府直轄になり、再開発の命を受けた仏人鉱山技師の指導により
それまで手彫りだったものが火薬による採掘などで一気に近代化します。
飾磨津までの「銀の馬車道」・中瀬鉱山までの「鉱石の道」もつくられ
銀の精錬用の塩や大型機械・石炭、材木や銀の精鉱など物流が加速。
以降皇室財産となり、三菱に払い下げされましたが
昭和43年採算と安全性を理由に閉山しました。
 
かつてはとにもかくにも手彫り…!
人一人通れる道を掘り進めながら(狸堀)
鉱脈を探す、だって…!?
 
 
 
ダイナマイトで開けた穴は桁違いに深かったです。
文字通り近代化の威力はすごい。
 

 
長くて深い鉱道の全長は
生野から名古屋・または下関に行けるような
距離だそうですよ。

 

鉱道内にはかつての作業の様子を再現した
「銀山Boys」が配置されていて、
以前にはテーマソングが作られたり総選挙も行われたとか(笑)
銀山Boysの存在は前にTVでみたことがあったけど
生野銀山だと知らなかったのですー爆  笑
 

 

そんなBoysの中には男性だけでなく女性も。

歌詞のひとつに「主が掘り出す 私が選ぶ 生野鉱山 共稼ぎ」
とありますが、
日本で唯一生野銀山だけが女性が働けるほど・
また10~15歳が働けるのも
治安が良かったからなのだそうです。
 
赤いお腰と褌は、血を嫌う=怪我を防ぐ魔除け
という意味があったとか。
 

 
イケメンの近代版Boysも頑張ってます笑
 
 
 

 

鉱夫さんの人生

 
鉱道は高い湿度と粉塵で大変な環境、
性能のよい防塵マスクがなかった時代は長く
鉱夫さんたちは肺を患うため
人生は決して長いものではなかったそう。
保存会長・谷住さんのお父様も鉱夫さんだったそうで
装備がある時代にお勤めでもやはり肺を患い
大変な最後だったとのこと…
「鉱夫さんかよ 色黒痩せて 鼻の穴まで黒くする」
この歌詞を唄うと泣けてくるとおっしゃっていました。
 
また生野書院(資料館)ではこんなお話を聞くことができました。
但馬の温泉地からの湯治帰りのとある方の古い手記に、
鉱夫さんから
「人生30年だけれど、お金をたくさん稼げて
お米や美味しいものを食べられて幸せだ」
という話をきいた、とあったそうなのです。
 
ご自身の一生をこのように受け止めている方も
いらっしゃったのですね。
 

 

 

石刀=フランス語?

 
石刀(せっと、せっとう、せきとう、と各地で呼び方が違います)
という鉱山用語は、
フランス人技師が金槌を仏語で「マセット」と言ったのが
「せっと」=石刀という鉱山用語となり、
生野の技師が全国に出向いたことに伴い広まったとか。
かつてはチスを持っていればそれが一定の身分を示す免状とみなされ
全国の坑山で働けたのだそうです。
 
 
 

 

鉱道で唄っていただきました!

 

そんな鉱夫さんたちの疲れを慰める
シンプルな作業唄だった生野銀山石切節は、
民謡研究家の方によって編曲され
今に唄い継がれています。
 
他に誰もいなかったのもあり、
お願いして一節唄っていただきました!
エモすぎてちょっと涙が出たのは内緒。
ずっと唄い続けてきて、後世に残すべく活動する方の
唄の重みはこれほどかと。
(アメブロで載せられる動画が1分間なので
ハァーをトリミングしたのは…惜しい!)
 
 
 

 

さいごに

 

鉱山のほか、町内の色々な施設や史跡なども

ご案内いただき

よい経験をすることができました。

 

 

ただ唄うだけでなく

コンサートでは唄の背景などもしっかりお伝えすべく

しっかり落とし込みたいと思います。

よい唄が唄えるといいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 書いているのはこんな人

 

 

 
翔田 光千穂 / しょうだ みちほ
30歳で津軽三味線・民謡をはじめ、2025年末現在44歳。
異例の前のめり集中お稽古を重ね(笑)5年目で翔の会名取に。
自身ができなかったことができるようになった経験をお伝えできる、
生徒さんと同じ目線の講師でありたいと思っています。
お客様と距離の近いステージでの演奏が好きです。
古い唄・こと・ものに出会ったときのときめきが、私のエネルギー源です。