井伊直孝と芋鍋!
今日は、鍋の日に紀州山の日です。
【活用場面】
先人の遺業を忘れない。初心を忘れない!
立冬の日辺りと言うことで、鍋の日だそうです。寒くなる季節、みんなで囲む鍋いいですよね!
徳川四天王の一人、井伊直政の次男である井伊直孝の鍋に纏わる逸話です。
直孝は父直政同様、その才覚を徳川家康に見込まれ、若くして周囲に一目置かれる存在でした。
政務に勤しむ直孝に、ある老臣が「直孝、そなたを見込んで話すが、実は我々年寄り連中が集まり、ふたつに一度、合議をしておる。どうだ、お主も来ないか?」と声を掛けました。聞けば、参加する者たちは徳川家古参の歴戦の武将達で、直孝に否やがあろうはずも無く、喜んで参加を希望した。
さて、その日がやって来ました。直孝にしてみれば、憧憬の的であった武将達が集まり、ざっくばらんに語り合っている贅沢な酒宴です。ある者は手柄を立てた時の話、ある者は戦の仕様を考証し、ある者は名高い武将と戦った時の思い出を語っている。一つ一つの話に直孝は感銘を受けました。
そして、宴もたけなわとなった頃、大鍋が運ばれてきました。鍋の中には、よく煮えた芋が入っており、皆が思い思いに椀に取り分け、黙々と食べはじめました。芋の入った椀が直孝にも廻って来ました。一口食べた直孝は驚いいてしまいます。まったく味が無しません。それどころか、まるで泥を食べたような
土臭さでした。思わず直孝は「申し訳ございませぬ。この芋は、私には少々味が足りぬ様でござい
ます。塩か醤油はございませぬか?」と言いました。
すると老臣は箸を置き、直孝に向き直ってこう言った。「実はお主を誘ったのは、この芋鍋を食べて欲しかったからじゃ。」
「家康公の若き頃は、我らは毎日このような味も無い芋鍋を食べていた。そして今も徳川家のために働いてくれる足軽達、田畑を耕す農民達の中には、この芋鍋すら満足に食えぬ者もいる。我らはその事を決して忘れぬよう、こうして集い、芋鍋を皆で食べているのだ。」そして、さらに老臣は「これからはお主のような若者が、徳川家の政事の中心となるであろう。だからこそ、お主に伝えたかった。我らの手柄や戦の仕様、ましてや、もうこの世におらぬ武将の話などでは無い。この芋鍋の味を決して忘れてくれるなよ。」と続けました。
直孝は芋をたいらげると、老臣達に深々と頭を下げ、言った。「この味、生涯忘れませぬ。」
他の徳川四天王をはじめ、徳川創業の功臣の二代目が次々と冷遇粛清されていく中、直孝は幕府の信任厚く、彦根藩主そして大老と出世し、後に名君として歴史に名を残す事となります。
彼が名君となりえたのは、芋鍋の味を忘れなかったからかもしれませんね。
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今日は、ハロウィンの元になった死者の日、阪神タイガースの日にキッチン・バスの日です。
【活用場面】
Do itの薦め!
キッチン・バスの日に因んで、浴室テレビ大改造の話です。
テレビが地デジ化されて、我が家でも地デジ対応テレビに買い換えて無事終了と思っていましたが、すっかり浴室テレビのことを忘れていました。
家族は見られなくなると母親の説明にほとんど納得していたようで、単身赴任でたまに帰る小生はすっかり失念しておりました。と言うことで、早速浴室テレビの地デジ化に取り組みました。先ずは、ネットで諸先輩方の経験を元に必要な準備をしました。
浴室の天井を開けて状況を確認!ここで大事なのは電源があるかどうかです。我が家は幸い近くに電源コンセントがありましたが、なければ分岐工事をして貰う必要があります。基本的には簡単な工事ですが、免許がいるので個人では止めましょう。工事費用は2万円くらいのようでした。
次に必要なピクセラ社のチューナーとリモコン・アンテナ(浴室天井裏に電波が届かないことを想定し、セットで購入)を取り寄せ、地デジ化で映らなくなるのを確認して、速やかに設置の予定でしたが・・・
幸い我が家のCTV会社さんは15年度までアナログの配信もしてくれるそうで、暫く工事はお預けになりました。
でも、いつでも行こう準備はバッチリです。しっかり勉強させて頂きました。浴室地デジテレビは工事費込みで10万円以上しますから、是非自分でやりましょうね!
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日本で初めて紅茶を飲んだ光太夫!
今日は、いっぱいあるよ!
計量記念日、灯台記念日、自衛隊記念日、古典の日、点字の日、生命保険の日、犬の日、寿司の日、紅茶の日、本格焼酎の日、泡盛の日、家具の日に教育の日です。
いっぱいありますが、ちょっと異色な紅茶の日に焦点を当ててみましょう!
【活用場面】
紅茶を飲む時の蘊蓄の一つに!
紅茶の日の由来は、暴風雨のためロシアに漂着していた大黒屋光太夫がロシア皇帝エカチェリーナ2世の茶会に招かれ、日本人で初めて紅茶を飲んだ日に合わせて、本紅茶協会が制定したそうです。
井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」などで知られる大黒屋光太夫ら総勢18名を乗せた神昌丸は1783年1月11日に伊勢の白子の港を出港しました。
光太夫は、伊勢の南若松村(現鈴鹿市)生まれの船頭で、若い頃は江戸で仕事をしていましたが、この頃は故郷に戻って伊勢を本拠地に廻船の仕事をしていました。神昌丸は一見勘右衛門という人が所有する船で江戸に送る米や木綿などを積んでいました。ところが彼らの船は4日後の13日、駿河の沖で突然の嵐にあい遭難、帆柱も折れ、櫨も失って操縦不能になってしまい、この状態のまま半年以上も漂流することになったのでした。
やがて彼らが漂着したのは北の果てアリューシャン列島のアムチトカ島でした。1783年の7月15日のことです。この寒さ厳しい島で8人の仲間が亡くなりました。
4年後、この島にラッコの皮を取りに来たロシア人が彼らに遭遇し、そのロシア人が一行をカムチャッカ半島のロシア人の町ニジニカムチャッカに連れて行ってくれました。ここで光太夫らは日本に帰りたいので助けて欲しいと当地の役人に願い出ますが、当時日本は鎖国中。ロシアとしても単純に連れて行く
訳にはいかず、願いは不許可となります。このニジニカムチャッカでも3人の仲間が亡くなっています。
残った6人は、翌1788年帰国の件をシベリア総督に直接願い出ようと、シベリアの中心都市イルクーツクへ移動しました。この移動にはソリで8ヶ月を要し、一行は1789年2月バイカル湖のほとりイルクーツクにたどりつきます。しかしシベリア総督の返事は色好いものではありませんでした。
失意の彼らに救いの手を伸べたのはフィンランド出身のキリル・ラクスマンという植物学者でした。彼はシベリアの植物の研究で名を上げておりロシアの科学アカデミーの会員にも名を連ねていました。彼はイルクーツクで光太夫たちと知り合って同情し、自分と一緒に首都ペテルブルグまで行って皇帝から直接帰国の許可と支援を願い出ようと誘います。
1791年一行を代表して光太夫がラクスマンとともに速ソリでペテルブルグまで行きました。カムチャッカからイルクーツクまでは4000kmでこれに8ヶ月もかかっているのにラクスマンが使ったソリは6000kmをわずか2ヶ月で横断しています。
ペテルブルクでラクスマンと光太夫は皇帝エカチェリーナ2世に2度も謁見することに成功。エカチェリーナ2世は彼らに同情すると共に、これを機会にかねてから考えていた日本との交易を実現したいと考え、ラクスマンの息子のアダム・ラクスマン陸軍中尉に遣日使節の命を与え、光太夫らと共に日本に行くよう命じたとのことです。
この時の謁見で紅茶を飲んだらしいのです。
苦労の末口にした紅茶の味は如何ほどだったのでしょうか?因みに、美味しい紅茶の入れ方ならアンガールズが詳しかったのには意外でした![]()
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