朝礼スピーチのねた ブクロ -289ページ目

蚊を寄せ付けない!

今日は、蚊の日に交通信号設置記念日です。

【活用場面】
 蚊の出てくる場所で!

蚊の多い季節です。撃退法について、紹介します。

蚊は、水分に反応します。水分が多いと寄ってきます。また汗の匂いにも反応します。従って、植物やプランターを無くし、排水や水はけを良くして下さい。常に乾燥した状態を心がけてください。

汗をアルコール類でよく拭いてあげて下さい。特に子供の頭、顔はアルコールは刺激が強いのでアルコールを含まないもので乾燥させて下さい。蚊は隠れる場所が多いと安全と考えます。なるべく部屋はすっきりした状態にして下さい。熱に反応しますので、電気はあまりつけないようにして下さい。

エアコンは子供の心肺機能に良くありませんので風通しの良い部屋のつくりに心がけて下さい。

ハーブの防虫液を窓や網戸、壁に掛けてください。止むを得ず化学防虫剤を使用する時は、窓の近くに設置し、風の通り道を確保し、呼吸する場所の近くには置かないようにして下さい。

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不易流行は誰の言葉?

今日は、俳句の日にバイクの日です。

【活動場面】
 流行がもてはやされる時に!

「不易流行」は、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した概念です。「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「そ の本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」であるというものです。「不易」は変わらないこと、即ちどんなに世の中が変化し状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものということで、「不変の真理」を意味します。逆に、「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもののことです。「不易流行」は俳諧に対して説かれた概念ですが、学問や文化や人間形成にもそのまま当てはめることができます。 人類は誕生以来「知」を獲得し続けてきました。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)、「諸行無常」 (仏教)、「逝く者はかくの如きか、昼夜を舎かず」(論語)、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明)など先哲の名言が示すように、森羅万象は時々刻々変化即ち「流行」しますから「知」は絶えず更新されていきますが、先人達はその中から「不易」即ち「不変の真理」を抽出してきました。その「不易」を基礎として、刻々と「流行」する森羅万象を捉えることにより新たな「知」が獲得され、 更にその中から「不易」が抽出されていきます。「不易」は「流行」の中にあり「流行」が「不易」を生み出 す、この「不易流行」システムによって学問や文化が発展してきました。一人ひとりの人間も「不易」と「流行」の狭間で成長していきます。 昨今は、「不易」より「流行」が重視される風潮ですが、このような時期だから こそ「無用の用」や「不易流行」の意味をじっくりと考えてみたいものです。


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持って帰れない甲子園の土!

今日は、高校野球に米にビーフンの日です。

【活動場面】
 華々しい舞台裏を知る!

高校球児にとっての甲子園という場所は、チームの数だけ、それぞれのドラマがあります。

1972年5月15日 第二次世界大戦後、アメリカ軍に統治されていた沖縄が日本に復帰しました。それまでには悲しいドラマがありました。

当時の沖縄は、テレビの普及がなされていなかったことから、夏の決勝戦だけがラジオで流れ 、ベースボールマガジンが輸入されていた時代です。プロ野球や東京六大学野球の情報が主で、海外 ...沖縄の高校球児にとって、今日のような甲子園へ想いとは掛け離れた場所だったのです。

1958年夏、沖縄大会。決勝を戦ったのは石川高校と首里高校。第40回全国高校野球選手権記念大会へ優勝した首里高校が招待されることになりました。

当時の沖縄高校野球が全国のレベルに遠く、首里高校は初戦の敦賀高校(福井)戦で13三振を奪われ0-3の3安打完封負け。甲子園の大観衆から「また来いよ」と、惜しみない拍手と暖かい歓声が掛けられました。

首里高校の甲子園出場は、沖縄と本土の掛け橋となり、今日活躍する沖縄球児が甲子園を目指す原点となりました。

また、海外...沖縄にとって、この首里高校甲子園出場でもうひとつのドラマがありました。

沖縄の人々が本土へ渡るにはパスポートがいる当時のアメリカ領沖縄。首里高校球児は、本土の祖国への思いを胸に甲子園の土を拾い持ち帰ろうとしていました。首里球児が甲子園から沖縄へ帰った際、那覇港 へ上陸する直前に今では考えられない心の痛む出来事が起きました。

彼らが集めた甲子園の土は「植物検疫法」に引っかかるという理由で検疫官の手で海中に捨てられてしまったのです。

この時の首里高校ナインの心情を思うと胸いっぱいになってしまいました。 ただ、この土を海に捨てなければいけなかった検疫官の気持ちも思うと、沖縄の方々が歩んでこられた歴史には私たちには計り知れないものがあったのだと胸が痛みます。

この痛たましい出来事は、新聞で全国に知れ渡り、心を痛めた1人の女性、日本航空のスチュワーデス 近藤 充子さんが土がだめなら甲子園の石を・・・と首里高校ナ インの元へ温かい心が届けられました。

その石は、甲子園のダイアモンドに形を変え記念碑に埋め込まれ、今でも首里高校で友愛を繋いでます。



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