朝礼スピーチのねた ブクロ -248ページ目

情けは人の為ならず!

今日は、遠距離恋愛の日と回文の日だそうです。


【活用場面】

 情けは人の為ならず!情けは回り回って戻ってくる。


歌舞伎十八番「義経千本桜」の中の義経のセリフ


「人間いたって嬉しいと悲しいとくやしいとは、忘れえずとかや」


この物語は、源氏が平家に敗れ3歳の義経が母の常磐御前とともに雪の中を落ちていきます。この親子を源氏の棟梁義朝の妻子と見抜いた平家の武将宗清は、あまりの不憫さに母子を見逃してやります。


それから時は流れ、今度は源氏が平家を滅ぼします。宗清は源氏の御曹司を見逃したために平家滅亡に至ったと後悔し、弥陀六と名乗り世を偲び平家の公達の墓守をして過ごします。しかし、宗清は源氏に囚われ、義経の面前に出ます。宗清は「自分は単なる墓守りである。」と訴えるのですが、義経は宗清と見抜きます。「そなたは平家の武将弥平衛宗清殿に相違あるまい。」と言います。「滅相もない私は・・・」と否定する宗清に、


「そなたは、まさしく宗清殿。その証拠は額のホクロでござる。」と言い

「人間いたって嬉しいと悲しいとくやしいとは、忘れえずとかや」と言って、幼児の頃の恩情に感謝し、涙を流します。


3歳児の頃の強烈な刺激が脳裏に焼き付いていたのです。


遠距離恋愛ではありませんが、時を超えて恩情が回文のように回り回って来た話とでも言いましょうか?


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松下村塾の精神は永遠に不滅?

今日は、デパート開業の日とシーラカンスの日です。


【活用場面】

 自己の信念を持つ!実行力!

 記念日にはなっていませんが、1857年(安政4年)吉田松陰が松下村塾を開講した日でもあります。


杉家の次男に生まれた松陰(当時は寅次郎といった)は、吉田家の養子に出されました。
養父が早死にしたせいもあり、5歳の時から吉田家の家督を継ぎ、この吉田家実は藩の山鹿流兵学(学祖は山鹿素行)の師範家であったため、わずか8歳の時に藩校の明倫館で教授見習いとなり、10歳で藩主の御前で講義をしたのは有名な話です。

松陰を指導したおじの玉木文之進が開いていた塾こそが最初の「松下村塾」です。


浦賀でペリー来航を見た松蔭は、直ぐに黒船密航を企て、失敗して下田で捕らわれて獄に入れられますが、1年2ヵ月後、松陰は釈放されて、自宅蟄居になります。

家からは出ることは許されないため、当初、自宅の3畳ほどの1室でおとなしく篭っていましたが、おじであり松陰の教育係でもあった玉木文之進が開いていた「松下村塾」を引き継ぐことにした。


さて、松陰が松下村塾で門下生とともに過ごしていた頃、幕府の大老職には井伊直弼が座っており、幕府の将軍はお飾りと化していても、実質的な権力者は大老にありました。
井伊直弼は開国し、朝廷の勅許もないまま通商条約も結ぶんでいましたが、
松陰の思想は、「尊皇攘夷」であったため、反幕府的思想とされ、容赦なく弾圧しました。

これが有名な「安政の大獄」です。


長州藩は初め松陰を庇護していたが、いよいよそれも難しくなり、ついには松陰は捕縛され、江戸の小伝馬町に送られることになり、切腹ではなく斬首となりました。

武士として屈辱的な刑であることは言うまでもありません。


その時に詠んだ時世の句は非常に胸を打つものです。


 「親思う 心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん 」

 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂 」


僅か29歳という若さでこの世を去った松蔭ですが、彼の精神的指導者・論理者そして実行者としての功績は、松下村塾の門下生のみならず現在もなお多くの人々の心に残っています。


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恥ずかしい初飛行?

今日は、日本初飛行の日です。


【活用場面】

 名より実を取る。名声より実績重視!


日本で最初に動力飛行機で空を飛んだのは、日本陸軍の日野熊蔵です。実は、1910(明治43年)年12月14日のことでした。この日、日野大尉の乗ったドイツ製単葉機ハンス・グラーデは代々木練兵場の滑走路を駆け出し、ふわりと空を飛びました。飛行距離25m。第2回目は60m。まさに歴史的な瞬間でした。


翌日、公開試験飛行が行われ、日野は再び50mの飛行に成功しました。


ところが、なぜか日本では「日本初飛行の日」が12月19日とされています。

何でかというと、この日に陸軍の徳川好敏大尉がフランス製複葉機アンリ・ファルマンで3000mを飛行しているからです。同じ日、日野も700mの飛行に成功してるんですが、軍としては「徳川」の血を引く人間に栄誉を与えたかったということでしょう。


しかし、今となっては事実はみんな知っています。真実に蓋をすることは出来ませんねえ!


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