子供には、物事をよく考える子供になってほしい。よく考える子は感受性も強く、悩みも多いだろう。相手の立場が理解できるというのはすばらしいことだけど、その分悩み増えるに決まっている。
真実と簡単に言ってしまうが、実は人の数だけ真実があると私は思う。価値観が違う、人種が違う、性格が違うというのはそういうことだ。その人によって正しいこと、悪いこと、もっと言うと色の見え方でさえ全く違うのだ。
人生を生きていく中で、トラブルは絶えないだろう。トラブルを避けるのは難しい。トラブルを自分で解決、自分が納得できる形で終わらせられる人間になってほしい。(もちろんそこには道徳的、人道的な要素はなくてはならないが)
たくさんの映画や物語を読むことで想像力を培い、自分が経験できないようなことを、経験した人が著者した本を読むことで、知識の幅、種類を増やし、あらゆる言葉を借りてほしい。言葉は自分の武器になる。表現できることは最大の強みであると知ってほしい。言葉の言い回し1つで、大きな物事が変わることを理解してほしい。駆使してほしい。
子供に壮大なことを望んでいる気がして、気をつけよう(笑)「評決のとき」という映画をみて、覚えておきたいとと思ったのでブログに残す。
マシュー・マコノヒーが最終弁論で陪審員にはなす物語。そこで使われる言い回し、話し方。最後のオチになるキーワード"それは白人の女の子だった"は忘れられない。