自分の欲求に自分自身がきちんと耳を傾けて応えてあげる…

意外に出来ていないことが多々あります。

自分より他人を優先してしまったり。

それが謙虚だとか優しさだとか美徳みたいな古いシステムに無意識のうちに縛られている自分。

何かしらを選択をする動機は自分が思う信念に基づいていたりだとか、
思い込みによるものだったりもしますよね。

その信念にしろ思い込みにしろ、動機付けになる基は、環境によるものだったり、何かしら本や人の言葉や経験だったり

いつのまにか自分の一部にしてしまっていることがあります。

他人を理解しようと思う時、理解しようと思うがあまりに

いつのまにか自分を我慢していたり、相手に合わせていたりという事をして

自分自身を蔑ろにしていることにも気付かずに
それが相手を思いやる事だとか、理解することなんだと無意識的にしている事もあるかもしれません。

相手を理解するというのが必ずしも自分が同じ心境や選択をするのとは違うのに

同じ気持ちになってみようとしたり。

でもそれは真の意味での理解ではありませんね。

受け入れられるか
受け入れられないかは別にして、

相手は何かしらの動機を持って選択をし行動した
…それは自分の世界にはまったく無いものだとしても…

という理解でしか
理解は出来ないかもしれません。

協調性とか、場の空気を読むとか

円滑な人間関係には不可欠だと教えられてきたら

なかなか自分の気持ちを優先だとか

自分の欲求を満たすとか

特に社会を生きていく時には、実践的にそれをこなしていくのを時に難しく感じることがあります。

スピリチュアルな講座に出たり、本を読んだり

一時的に気持ちが高揚して、ずっとそのポジティブエネルギーに満たされた気になっていても

ふと日常生活に戻ると
まるでそれが活かされていなかったり…

これは毎日毎日の習慣によって意識的にしていく意外にありませんね。

本当はわかっているのです。

何が大切でどうしたらいいのかとか…誰もが皆。

それが、いつだって答えは自分の中にある…ということなのですから。

その心の声を、忙殺された日々に疎かにしてしまっているだけなんです。

スピリチュアルな講座や本を読んだりしている時は意識がそこに集中しているから、うまくこなせます。

けれど、本当のスピリチュアルな世界は
日々を生きる中で、
常に実践、実践の連続の中で培われていくものなのかもしれませんね。

自分を大切にする…そこには、まず

自分を信頼する…

これが大前提ですね。

自分のいる状況さえも信頼する

信頼できているのか
自分を大切にできているのか

これはもう、不安になったら

言葉にして、心の中でもいいから

自分を信頼する
自分を大切にする
状況を信頼する

難しく考えてネガティブになるより

そう言ってみる

それを意識的にする

それを習慣にする

今日何かうまくいかない事があったなら

うっかりそれを忘れていただけ。

転換期は様々な心揺さぶる事が起きるかもしれないけれど

ちょっとづつの実践が
いつか無意識にもできるくらいの力になる

私は自分を信頼します
自分を大切にします

不安が過ったら
まず心の中で唱えてみる

転換期のメッセージも
改めて読み返してみてくださいね