自分の欠点を直視するのって結構勇気が伴いますよね。
欠点を人にストレートに指摘されたりなんかしたら
なかなか素直に認められず不機嫌になってしまうとか
あなたに言われたくない…と反論してしまうとか。
類は友を呼ぶ…っていうように、波長の合う人、自分にダメだししない人、居心地良い関係のほうが楽…ではあるのですが
世の中様々な価値観があり、本当に色々な人がいます。
人が他人という他者に出会うのは、時に居心地良い事ばかりではありません。
よく星占いで「相性」というのがありますが
相性が悪いというのは、必ずしも不運でもなんでもなくて
でもそれが恋や結婚相手となると相性が悪いなんて、ちょっとガッカリなんてこともあるかもしれなくても
それは、より強固な絆を結べる…という裏返しでもあったりします。
友達や家族には指摘されたくない欠点も、愛する人に指摘されたら、最初は猛烈な反発心が芽生えたりしても
やがては自分を振り返り見つめ直すかもしれません。
で、指摘された欠点を改めて客観的に見つめ直すと、謙虚な気持ちが生まれたりして
友達にそれを伝えたりしてみると案外
優しく、実は私も感じてはいたよ~なんて声も聞けるかもしれませんね。
けれども、あえて指摘することなどなくいた友人たちにとっても、愛する人からの指摘であっても
勿論他にもたくさん良いところを知ってくれているからこそ伝えられたり、
あえて伝えなくても
つき合い続けられていたりもします。
で、そんな辛口な意見をガツンと言ってくる相手が、愛する人だからこそ
最終的には素直に耳を傾けられたりもし、
自分を客観的に見てみようという謙虚さも生まれたりもします。
相性が悪い相手が深い係わりのない相手なら、距離を空けてそれで終わり…にしてしまいがちなところを
相性が悪くても真逆な価値観を持ってる苦手なタイプを仮に好きになってしまったからこそ
簡単に距離を空けてしまうだけでなく譲り合う気持ちが芽生えたりもします。
100%価値観があう人はいないからこそ面白みもあったりします。
父がまだ生きていた昔、些細な事で口論になり延々お互い言いたい放題言っていた結末が、 実は同じ考えだったという、
なんとも妙なオチに、今していた喧嘩はなんだったの?なんて思う事がありました。
価値観が合わないという観点で喧嘩していただけに、結局掘り下げてみたら同じ価値観を持っていた…という結末に
価値観ではなく表現方法の違いだったの?と、見方が変わったわけなんですが
諦めずにとことん議論を交わしたからこそ見えたものでもあったように思います。
どうしても自分本位に物事を考えて
こういう反論があるということはこういう意味だろう…とか、決め付けてしまう部分があったのかもしれません。
けれども、確かに物事を見る目線が違っていると
それが価値観にも繋がって相違があるものの
アプローチの違いで
そんなに大差ない考えを持っているということもあるんだなとも感じました。
あまのじゃくな父でもありましたから、表面に見える部分ばかりにフォーカスすると本音が見えてこないというのもあったかもしれません。
人とのコミュニケーションでは、
表面上のものに気をとられ過ぎず、
相手の発する感情を感じてみるというのも大切だと言いますね。
小さい子供が、
○○ちゃんなんて大嫌い!と、言いながら
照れたような赤い顔をする…なんていうように
本音は大好きなのに焼きもちとか複雑な感情で言葉と裏腹な態度をとるように。
子供がお母さんを困らせたりするのも、お母さんの気を引きたいがためだったり。
大人になってもそういう事をしちゃう人いますよね。
だからコミュニケーションが複雑になってしまうことがあります。
相性というのも、なかなか相手を理解しがたい場合、相性が悪いとか決め付けがちですけれど
相手の感情を感じてみたり、ディスカッションをすることで、なんらかの接点が見えたり
自分が気づかなかった視点がもたらされたり
見たことのない世界を垣間見たりと
得ることもたくさんあったりします。
だから、あえて嫌いな人に近付く必要はなくても
縁があって関わった人には、やはり縁あるだけに
学びという宝も隠されているのですね。
それを相性が悪いと片付けてしまうか、 学びの宝に繋げるかで
相性の悪さも強固な絆に変えることもできるということですね。
そもそも価値観がほとんど同じなのに、たった一つの価値観が合わないがためにダメになるケースもあるし
ほとんどの価値観が合わないのに、たった一つのピッタリあう価値観で繋がっていられるケースもあって
相性の善し悪しとは、どこで計るのかということさえ当人次第ともいえます。
誰もが長所も欠点もあり
違いがあるからこそ、欠点もお互いがカバーできたりする場合もありますからね。
占いでの相性の善し悪しも一喜一憂するべきものでもなく
お互いが理解しあおうというお互いの思いやりがあれば溝は埋められる…ということではないでしょうか。