保守的の反対は進歩的・・・なのだそ~である。
自分という人間を客観的に見た時に、保守的であり進歩的だなぁ、、、 いや、進歩的であり保守的?
なんて、どうでもいいことなんだけれど思いました。
いろいろ知りたいと思うことがあるとリサーチもするし、何事も思い立ったが吉日、で 即行動!
という面もあるし、好奇心旺盛に興味を持ったものは手を出してみる。 世の中何が流行ってるのかな、とかファッションだとかも気になればチェックもする。
けれど、携帯はいまだガラケー愛用。
昨年、どうしても応募してみたいコンテストがあり、ガラケーで対応出来ないことがわかり、
けれどスマホに切替もためらった私、
パソコンもやめたので、いろいろ考えあぐねた結果
別にタブレットを購入。
それは必要に迫られてのことでもあるし、
機種変をする気持ちはさらさらなかったからなのだけれど
友人には、絶対使いこなすだろうからとスマホに変えたらと言われていたのだけど
目的を果たしたら意外というかやはりというか
別購入したタブレットさえ案外使いこなしていなく、、、
相変わらず、ネットで調べるのも電池の持ちも良く片手ですぐリサーチできるガラケーに頼って満足している私。
時々不便を感じることもあるのだけれど
慣れの問題でスマホに機種変したらいつかは使いこなすだろうし二台持ちしなくても良いし、
まあ、実のところ普段タブレットは持ち歩きしてないので荷物にもならないけれど、だからこそ使いこなせてもいない。
けれど、タブレットにせよ
それこそやめたパソコンにしても使いこなしたら世界はますます広がるのだろうなとも思う時があるのは事実。
例えば、パソコンとプリンターがあれば、自分でデザインしたものを布にプリントもできるとか、
コラージュだって幅が広がるし、いろいろ世界を広げられるかも?
というのが過ぎったりもするわけで・・・
便利なアプリだとか、Lineとかもいまだにやっていない私、かなり出遅れているのですが・・・
2015年は、より一層『世界を広げる』時でもあるようです。
と、記した
2015年・全ての人へのメッセージ ~良いお年を~
2014/12/30 00:06
このメッセージを受け止めていない?
(;¬_¬)
なーんて思うのですが
私なりの世界の広げ方というのを考えてみると
活動の場を広げる・・・というのが、違うやり方であるのではないか?と感じているので
まだまだやりたいことが他にあるので、
境界線というメッセージもあったように、自分なりの線引きで新たなことにチャレンジしてみようと今思っているところです。
そう、やみくもに手を広げるのではなく
やれるところから世界を広げるということ。
と、そんなことをここまで下書きしていたこのblogの途中、
『繕い裁つ人』という映画が上映されているのを知って観てきました。
ミシンが出てくる仕立て屋さんの話し。
相変わらず地味に手作りは続行中の私、ミシンのキーワードに興味をそそられたのです。
観て思った感想は、まず
自分は職人気質ではないということ。
丁寧に良質のものを長く手直しをしていくという
ファストファッションがうけている昨今には、
対極にあるような世界。
ブランド化の依頼に抵抗する主人公の保守的な頑固さも、
ある意味最後は
保守的であり進歩的・・・な道を選んだとも感じた作品でした。
変化を受け入れ世界を広げるというのが必ずしも主人公にとってブランド化することなのだろうか?
その、保守的であり進歩的・・・というタイトルにリンクする感じに共感を覚えた作品でした。
年末のメッセージに内なる声を聞くというのもあったように、
世界を広げるという意味を、どのようにするか?どう解釈するか?は、人それぞれの内なる声が導いてくれる。
そう思います。
映画を観た後は、上質なものに触れたい・・・という気持ちにもなりました。
そして物を大事にすること。
洋服が持つ力というのも
感じました。
職人の丁寧な仕事に感銘を受けると同時に、
その存在が消えずに生き残っていける世界が必要だとも感じた映画でした。
主人公の洋裁店がとても素敵だったのと、足踏みミシンを見て昔母も使っていたなぁ、と懐かしくも思いました。
途中から母も電動ミシンでしたけれど。。
知人に、本を見ないと作れないのよ
という人がいるのだけれど
本に忠実に作れるって
すごいことだと私は思います。
失敗したら違う発想で違う物に作り替えるのが好きな私は、糸をほどいてレシピに従い仕立て直し・・・なんて
向かないなぁ~
と、つくづく思いましたから。
手作りする人もファッションが好きな人も、
世界を広げるという意味の根底にあるものを探りたい人も?
是非観てみてはいかがでしょうか?