最近、沢尻エリカさん主演のドラマ『ファースト・クラス』が話題みたいで
私も一、二度見たことがあります。
特徴的なのが、発してる言葉とは裏腹な感情をこめた台詞がテロップに表示され、その心のつぶやきが声となって表現されているということ。例えば
あら、その服素敵ですね。
と表向きに話しているのとは裏腹に
うわ~、ダサい!
とつぶやく声。
だけど、こんな心にその本当の感情を秘めたままの人ばかりではなく
現実には、心のつぶやきを思い切りだだもれで口にする人もいます。
うわ~ダサい!
と、ストレートに言ったり。。
どっちがいいとか悪いも
ないレベルですが
人は往々にしてこのようなBlackな面も多少なりとも持ち合わせているものです。程度の差こそあれ。
まあ、Blackといっても
磨きのかかったツヤツヤBlackとか、
マットなBlackだとか
いろいろ類いは違うかもしれませんが。。。
接客業で、自分の気分がたまたま悪いからと、お客様が気分を害するような心のつぶやきをそのまま言おうものなら、もちろんクレームでしょう。
といって、言葉は褒めて心でけなしていた場合、 それでもトラブルことってあるんですよね。
それは人間にはコミュニケーションをあらゆるセンサーでキャッチする機能が備わっているからなんでしょう。
目は口ほどにものを言う、とか。
『気』を感じたり。
語気の強さとか。
だから上辺だけというのも、お互いが感じることになるんでしょうね。
しかし、例えばそりの合わない姑といちいちやり合うわけにもいかないし・・・などという場合もあります。
言わぬが花とも言いますからね。
けれど、言わぬは言うにまさる・・・なんて言葉もあるように態度のそこかしこに表れていたりもして
なかなかどちらが良いとは言い難いところもありますが、
じゃあテレパシーが通じたらコミュニケーションに支障はなくなるのか?
という話題が友人との間に出たのだけれど
テレパシーでバレバレだから嘘や誤魔化しがなくなるのでは?
という意見がある一方で
テレパシーにもキャッチする能力の性能の違いというのもあるかもしれないよ?
という意見もあり、実際はどうなのかわからないですが
確かにその意見も一理あるかもしれませんね。
愚痴を言う人、聞く人、
愚痴を言うことでスッキリしたい人もいる傍ら
聞くことでその相手が
その重い気持ちを半分受け持っていたとしたら
・・・
けれど愚痴をなだめる人の言葉に癒されて
前に進めることもあったり、
持ちつもたれつで支えあっているなら
それも悪いばかりでもなかったり。
人間の感情はなかなか複雑なこともあって
一見そうとはわからない不満とかが見え隠れしたりすることも。
Blackばかりに汚染されても良くないけれど
完全なWhiteでもない
Blackを合わせ持つのが
人間なのでしょう。
その程よい加減というバランスが崩れた時、
何かトラブルとなったり
うまくいかないことがおこるのかもしれません。
では、その程よい加減とは?
というのがなかなか把握できないこともありますが
周りに起きていることを注意深く見てみるとヒントがあるのでしょう。
マザーテレサの言葉に
人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。
何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。
と、続く言葉があります。
『そうで、あろうとする』意識が、完全なBlackに染まらない手だての一つなのかもしれませんね。
感情をコントロールするとはそういうことかもしれません。
心の舵取をする、というのは、
時に訓練が必要かもしれないけれど。。
視点を変えるというのはまさにそういう舵取に必要なことなんでしょうね。
エジプトカードにコブラのカードがあります。
良い方にむけるか悪いほうにむけるか、それはあなた次第です。
というメッセージ。
人間とは弱くて強い者。
身から出た錆とは、自分の犯した悪行のために、自分自身が苦しむことを言いますが、
由来は、刀の手入れを怠ると刀身から錆が出て、いざという時に使い物にならず、自分自身の命(身)を落とすことになる。
ということから生まれたようです。
心の働きを鋭敏にする、
研ぎ澄ますことが必要なのですね。
視点を変えるとは、
馬鹿と鋏は使いよう
という言葉があるように
切れないハサミでも、使い方によっては何かの役に立つように、愚かな者でも上手に使えば役に立つもの、
それも視点を変えれば
見えてくるものなのでしょう。