社会に出ると、その社会の理不尽さを目の当たりにすることもあるかもしれませんが

神様の視点とやらは、
また違った角度から見ているといいますか
なかなか深いものがあります。

というのも聖書にでてくる例え話なんですが

 マタイによる福音書20章の『ぶどう園の労働者のたとえ』は、早朝から夕方まで10時間以上も働いた労働者も、夕方の5時から1時間だけ働いた労働者の賃金も同額の賃金をぶどう農園の主に与えられ、

しかも夕方から働いた人から先に賃金をもらい
長い時間働いた人が列の後に並び賃金を与えられるという例え話しなんですが(詳しくは聖書をチェックしてください)

表面的に読むと、なんとも理不尽で

人間世界では多々そんな不公平とも見える出来事もあり

人間視点では理不尽というように解釈してしまいがちな話しです。

この解釈については
いろいろあるようですが

長く働いた人も短い時間働いた人にも

渡す賃金に相違があるとは最初から言っていないので

神は最初からどんな人にも分け隔てなく与えるという意味なわけですが

納得感は、やっぱり欲しいかなというところ

これは人間的な狭い視野での捉え方なのかもしれませんね。

例えば、時間を問わず働いた人には千円渡します。

というと
中には、終わり頃に顔だしてちゃっかりもらおう根性の人もいるかもしれないし

そもそも自分のほうが
多く働いたのに短い時間働いた人と同じ賃金なんて何事だ?と

最初の農民が不平不満を言うわけなんですが

多く働いた・・・というのももしかしたら、驕りかもしれませんね。

短時間に仕事を仕上げる人もいるし

職にありつけない不安と戦っていた心は労働時間の長いものは早くから解放されていたわけだが

後から職探しにきた人は
短い間の仕事だったにせよ職にありつけない時間 を長いこと不安でいたのだ・・・という解釈もあるようです。

一生懸命働いたのに、わかってくれない

…( -_-) という気持ちをもし抱いたとしても

もしかしたら、そう思うからこその不公平感なのかもしれません。

多く働いた場合は考慮します、とは最初から約束にないわけだけど

比較するものが表れたのもあり

何故後から来た人より真面目にしていた自分が
待遇悪いんだ?

という視点で考えると
どうしても、不公平な気持ちが生まれてしまいます。

でも仕事を早くから与えられ早くに安心を得られていたんだという謙虚さがあれば捉え方は少し変わりますね。

頑張った自分と
そうでないアイツがなんで同じ給料なんだ?!
という、サラリーマンのぼやきがありますが、

この例え話に似たようなことは人間社会にはたくさんあります。

なかなか、聖書の例え話のようにすんなり思えないというのがまた人間の弱さというか

学ぶべき課題かもしれませんが

死ぬ時にお金を持っていけないのだと考えると

自分の人生を走馬灯のように振り返る場面が死ぬ間際にあるといいますから、

がむしゃらに一生懸命頑張れたなと思える精一杯尽くした自分自身を振り返るのと

サボっても同じ給料かもしれないけれど
そんな自堕落な自分自身を見る最後は

はたしてどうだろうか?
という視点で考えてみると

何をもって不公平だというのか・・・というもの事態が変わります。

だから、神なる目から見たら不公平でもないのかもしれません。

いい子にしてるから救いがあるとか

だからといって、
悪いことしても神は寛大ですよ、とか都合良い解釈ではなくて

でないと、10時間でも
1時間でも同じ賃金です・・・というのを見たら、

人間ずる賢さを発揮してしまいますよね。

だから
あえて条件をつけず

ただ、あなたに与えると約束しますよ

という話しであって

条件つきの愛ではない

ということなわけですね。

なるほど、こういう例え話が聖書にあるんだと最近たまたま知る機会があったわけですが

なかなか『謙虚さ』を忘れては、

人間世界で起きる様々なことに、この例え話を活かすのは時に難しいでしょうね。

精一杯頑張れた自分を
人と比べる必要もないわけで

まあ、とかく報酬が
頑張りに対しての評価と
イコールにするからこそ

その理不尽さを感じてしまうわけですが

お金に換算できない
頑張りとか良い行いとか

よく『徳を積む』といますよね?

あれですね、
給料の振り込み先ではない別口座にちゃんと積み立てされている

ということなんですね。

そういや、個人が起業資金にお金を借りるのは信用金庫のほうが借りいれやすいそうで

それを先々計画している人は脱サラするまえに
預貯金を信用金庫に少しづつ預けておくと

例えば同じ1000万円を借りるのに新規の人より

コツコツ預貯金していて
すでに500万円預貯金ある人のほうが『信用』があるので借りいれやすい
という話しをとある番組でやっていました。

話しはそれるけれど
ちょっと似たところがありますよね。

徳を積むというのは、
思わぬ恩恵があるかもしれないわけで

働きを目に見える報酬だけでは計りしれないことがあるのだということでしょうか。