どうすべきか?

どうするのが正解か?

他人からどう思われたいか?

皆がどうしているか?


ではなく…

まずは、自分がどうしたいか。


それを大事にしていいんだよ、という

過去の自分自身へのメッセージです。


色んなことに遠慮していた当時の私へ。

今現在、似た状況にいらっしゃる方にも

お読みいただけたら嬉しいです。


✨✨✨✨✨✨



以前の私は、

自分で自分をないがしろにしていたから

自分の心の声を普通に無視していました。


我慢したり、周りの人の機嫌を読んでばかり。

人間関係の衝突を極端に恐れるが故、

自分がどうしたいのかなんて二の次で、

皆がうまく行くように、あの人がキレないように、

意識にあったのはそればかり。

いったい誰のために何をやっているのか

自分でもわからなくなりよく迷走していたなと、

今になって思います。



だから、先生や社会から見た模範解答を出すのは

たぶんそこそこ上手かったと思うけれど、

自分の心の中ではビミョーに納得がいってないから

たまにすごく息苦しかったです。



「自分の意見をちゃんと言えてすごいね」とか

「すごくしっかりしているね」とか

言ってもらえたこともあったけど、

「いやいや、今私が言ったのは皆さんが喜ぶ答えであって、実は自分の意見ではないんですよ手

(ぶっちゃけ腹の底ではかなり我慢してるんですよ)」ってよく思っていました。もちろん言えないけど。





でも、自分のこれまでの人生の中で、

とある時期に関しては、とても素の自分で

ほんわり楽しく過ごせたときがあって。

このときはどういうわけか、

自分の心に従うことが結構上手にできていた時だった気がするなぁ、とさっきふと思い出しました。

(周りの環境に恵まれたおかげだったんだと思います)



自分を優先するって、

一見わがままでお気楽に見えるかもしれないけれど、

私にとっては全くそんなことなかったです。



むしろ、本当にエネルギーと勇気がいる。

特に流れに逆らわなきゃいけないときなんて

超めんどくさいし、恐怖も感じます。

心の声を聞かずに我慢して流された方が、

勇気はいらないからある意味楽でした。

(我慢することになるのは苦しいけど。)



でもね、今の私が思うのは、

どちらにせよエネルギーがいって

苦しかったり怖かったりするのなら、

我慢し続ける苦しさではなくて、

勇気を出す怖さ方を選んだ方が良いんじゃないかな、ということ。

たとえ勇気出して失敗しても、

命とられる訳じゃない。

その場にいたくないな、いにくいなって思ったら

環境を変えてしまえば

意外とあっさり解決することもあります。