3月13日~15日の3日間、奈良大学通信教育部文学部文化財歴史学科のスクーリング科目の受講&レポート提出。

 

13日は飛鳥の諸宮・寺院・古墳の授業で、14日は飛鳥時代の地形や寺院の位置関係を実感するために現地巡見授業、15日は午前中は飛鳥の遺跡の授業、午後はその場で与えられた課題のレポート作成。授業は飛鳥には2024年11月に自分で自転車で苦労して回ったので良く覚えているし、他の地域の遺跡も結構訪れているので、「なるほど!」といろいろ納得。

レポート作成が最後に控えているので、ちゃんとメモを取った。

 

3月14日 土曜日

 

1.飛鳥の現地巡見

橿原神宮駅前集合で観光バス乗って明日香村へ。明日香村内は結構歩いた。自分が「えっ!」と思った点だけ記載。

 

①飛鳥宮跡

昔はこの井戸の復元個所が「飛鳥板蓋宮跡」として旅行のガイドブックには紹介されてたけど、今はこの同じ場所に、岡本宮→板蓋宮→後岡本宮→浄御原宮と四つの飛鳥宮が作られたと考えられ、浄御原宮の構造が一番良く残っているそうだ。

なので飛鳥宮跡、もしくは浄御原宮跡となっている。

この木のあたりで、“乙巳の変”で蘇我入鹿は討たれたらしい。“乙巳の変”と“大化の改新”も今回大変良く分かりました。

 

②酒船石遺跡

2024年訪問時より、明るい。周りの竹林を結構切っている。飛鳥宮跡から歩いてきたので最初にこちらへ。

 

2024年時にはなかった、日本書紀に書かれていて発見された石垣のレプリカが屋根付きの小屋みたいのに再現されていた。亀形石造物までの道も、明るくきれいに整備されていた。

 

③飛鳥池工房遺跡

ここで、私達世代の“和同開珎”を古さで抜いた“富本銭”が発掘された。

 

④飛鳥寺の蘇我入鹿の首塚

後の丘が、甘樫丘。「頂上からは、明日香村が一望でき、耳成山、畝傍山、天香久山も眺められる。かつて蘇我馬子・蝦夷親子が権勢を天下に示すために、丘の麓に居宅を築いたといわれる。」

この五輪塔の下に、中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻(つき)の木の広場」関連の何かが埋まっているのではないかと先生は言っていた。

 

今回のスクーリングでの私の一番の収穫は「横口式石槨」の刳り貫き式だな。益田岩船石の宝殿も、そうらしい。

 

2.橿原神宮

予定より1時間遅くなった、17:00に橿原神宮前駅で解散。

せっかくなので3月は17:30に閉門してしまうという橿原神宮に速足で向かう。

(伊勢神宮以外の“神宮”って、ある意味、歴史的政治色あるので、あんまり興味はなかったんだが)

わっ、木の鳥居だ。よくこの太さの木が手に入ったもんだ。

 

 

へえっ~、灯篭1本100万円~300万円らしい。

 

 

 

 

 

 

とにかく、使用された木材の量にびっくり!

 

 

昭和15年の太平洋戦争中に「宮域の造成に約7万6,000余本の樹木が植栽されましたが、うち2万2,000余本は、全国から寄せられた献木でした。植栽にあたっては、郷土の木をもって構成することとし、橿原の地名から昔はカシの木が生い茂っていたことが発掘調査により推測されることから、カシ類を主として、昔の姿に還元することを目標に決められました。」

 

木の香りがしそうな程、美しい木材の建築物だった。

 

橿原市は、(株)カプコンの創業者の出身地だそうで、ストリートファイターで町おこしをしていた。

 

私にはさっぱり分からない。