3月16日 月曜日
NHKのEテレで、2025年10月~12月に「「3か月でマスターする古代文明」」という番組を放送してて、そのナビゲーターが関雄二さんという国立民族学博物館の館長だった。で、国立民族学博物館はどこにあるんだと調べたら万博記念公園で、なんとそこにある1970年の万国博覧会“太陽の塔”の内部に入れると分かり、ネットでこの日の11:30に見学予約した。
1.万博記念公園
ホテルをチェックアウトして(スパーホテルは料金前払い&ルームキーでなく暗証番号なので、セルフチェックアウト=勝手に出ていくシステム)。
奈良から2時間もかかった。しかも初めて知る交通機関の名前ばかりで、Googleマップに指図されるままに乗り換え。海外旅行と変わらない気分だ。
①万博記念公園駅(大阪モノレール)
9:30前に到着。
この駅のコインロッカーは交通系ICカード(私のSuica)使用タイプ。
駅を出るとこの風景! おおっ! ここが万博記念公園!
1970年の大阪万博って、まだ10歳の私は自分で行くことができなくて(当たり前だ)、学校のクラスで数名が、気力と時間とお金のある親に連れて行ってもらってて、とっても羨ましかった。盛り上がりも凄くて、雑誌の付録の万博トランプで、私はほとんどのパビリオンの名前を覚えたんだ。
高速道路の上の歩道橋を歩くので、公園の入口まで結構遠い・・・。
②中央口を入っての太陽の塔
万博開場当時は、↓ こんな風に大屋根に隠れていたので、当時万博に行った人達には見ることができなかった風景。
私は56年後の今、見ている。
実際は、太陽の塔の正面にミャクミャクのモニュメントがあって、フォトスポットになっていて、写真を撮る人で行列ができていた。
ミャクミャク人気凄いな。頑張れ! 負けるな! 太陽の塔!
②EXPO’70 パビリオン
1970年日本万国博覧会(大阪万博)当時の出展施設であった鉄鋼館を利用した記念博物館。
入口に着いたら、ガラス戸に「閉館中」の張り紙が! ええっと思ってよく見たら、開館時間の10:00の5分前だった。常設展のみ見学。
展示内容は公式HPに詳細に載っている。当時の様子を映像や実物で紹介している。
このジオラマも展示品。手前の虹の塔(日本専売公社のパビリオン)の右側の四角い建物が、今いる日本鉄鋼連盟のパビリオンの鋼鉄館。
↓当時の最新のエレクトロニクス装置を持った音楽堂
(56年前にしては)音響が素晴らしいらしいが、ガラス越しに見る分には音楽に合わせて座席のライトの色が変わるだけにしか見えない。
↓ ここを通って別館へ
↓当時の万博スタッフの制服
今見るとミニスカート過ぎるなあ。
↓ 太陽の塔の初代「黄金の顔」
2階まで吹き抜けにして展示されている。
↓ 中庭から
③太陽の塔入館
「予約時間の20分前までにはお越しください」と案内されていたので、11:00過ぎには太陽の塔の後ろにある入口に行ってみる。
↓ 太陽の塔のそばにあったマンホールのふた
受付でQRコードを見せて、地下の列に並ぶ。太陽の塔のオフィシャルサイトでは、やたら予約を取るように言ってるが、結構予約してない人がフラッと来ていて、列に並ぶ。
実際は行方不明になった(!)「地底の太陽」の復元を見ながら待つのだが、5分位おきに13人を1グループにして割とドンドン入れる。11:30の予約はなんだったんだろうとちょっと思う。
スマホのみ1階での撮影可能。カメラはNGと言われたがHP見るとOKになってるなあ。落下防止のためだそうで、500円でスマホケースを館内で借りると2階以上も撮影OK。私のグループでは(入る時だけグループであとは自由行動)2人位借りていた。私は借りなかった。
↓ 1階から撮影した生命の樹
生命の進化を表現していて、地面部分は菌→単細胞生物→爬虫類→恐竜→哺乳類→人類誕生で、最高部に人間がいた。
でも、1階からの撮影だと爬虫類まで写らないなあ。
高さ30メートルまで、6フロアを5つの階段(145段)で登りながら鑑賞して、別の階段で降りる。
広げた太陽の塔の両手の中の鉄骨が見えて、きれいだった。
老朽化による今後の処遇も検討されている中、生命の樹のそれぞれのオブジェは新しくて軽いものと取り換えられている。建設当初の物はEXPO’70 パビリオンにも飾られていた。
↓ オリジナルの恐竜
↓ 鉄鋼館のホールの中にも飾られている
56年後にこの年齢になって入れるなんて・・・。リベンジ成功!
でも、お互いに老朽化かあ。
ミュージアムショップに入るのに行列ができていて、こちらの行列はなかなか進んでいなかった。






















