タイトル、重っw
結論から言うと、生きることの意味なんて別になくていいのでは? と思ってるん。
私は「放っておいたら生きるから生きてるだけ」と長らく思って来たんね。
それは辛い時期には「自分で終わらせるだけの勢いはないから、しゃあなく生きてる」という意味やった。
今は「どうせ死ぬときは死ぬんやし、そんなん深く考えてもしゃあないやん」という意味で。
まだ死んであっちの世界に帰るのが楽しみ、みたいな域までは達してない。
こっちの世界に居る大事な存在との別れの方が辛いし。
ただ今でもたまに「もう全部めんどくさい」と思うこともあるよ。
これといった悩みもないくせに。
けどさ、これといった悩みがあってそう思うなら悩みを解決すりゃいいんやろけど、特に悩みもないとかえって厄介よね。
理由なく「全部めんどくさい」のはさ。
セッションなんかでも「何歳からでもやりたいことはやれるよ」と言ってるし、それは本心なんやけども、心が弱っていると老化していく自分へのガッカリ感から始まって、もう人生はここからは下るだけかぁなんて思うこともある。
世間に「まだやれるのでは?」と思われる状態のときに引退するスポーツ選手みたいに、ここらあたりで人生終わるといいのかもなんて考えたりさ。
が、しかーし!!!
今の私の素晴らしいところは(自画自賛)、ちょっとそういうアンニュイタイムみたいなやつ過ごしたあとで「・・・なんてな。アホらし」と思えるところ。
「おもんな」と思えるところ。
今はそういう自分に「はいはい」と塩対応して、「もうそういうのはええねん、人生の残り時間少ないねんから」と思えるところ。
「可哀想やった子供時代の私」は確かにまだおるけども、それは心の中の「過去動画」の中におるんであって、今現在のLIVE配信中におるんではないんよ。
ここで冒頭の件に戻るけども、「生きる意味を探す」のが生きる意味なんやったらいいけどさ(ややこしいねw)、そうじゃないならそれを探す時間で他のことしよか、って思うわけ。
「生きる意味」を探すよりは「今自分の周りに転がってる楽しいこと」を探してやってみる方がずっとよくない?って思うし。
私はね、理想としては与えられた寿命(それが遠いか近いかわからんけど)を全うする寸前に「ま、なかなか面白かったやん」と思って、そんで今までに見送った犬やら猫やら大事な人らやらに迎えに来て欲しいなぁと思うんよ。
どこまでも数秘5の資質やからか、恨みやら後悔を残すなんて重たいことまっぴらやし、美味しかった外食の店で会計後に「美味しかったです。ありがとう!」って去る時みたいに終わりたい。
生きる意味はどっちでもいいけど、見てるゴールはそこかもね。
もう今は何者かになりたいとも思わず、誰かの役に立ちたいとも思ってなくて。
日々体のどこも痛まずしんどくなく、旦那はんや猫らや友人が健やかで、ひとまず今月の支払いの心配もなく、それなりに充実した仕事があったら最高!って感じ。
ミネコスとして会社やら団体やら立ち上げて全国展開でスクールして、とかいう野望も一切ない(というか万一出来そうでも断るw)。
自分(と猫ら)の人生以外には責任も負いたくないし、何にも残さず水が蒸発するみたいに消えていきたい。
子どものいない人生やからそんなこと言えるのかもしれんし、それを思えばやっぱり私は子無し人生で良かったのかもしれんと思う。
てなわけで暗いんだか前向きなんだかわからん内容やったけど、雨の日の呟きってことで流しといていただければ幸い。
最後まで読んでくださりありがとうございました^ω^