今日はほんとのほんとにただのどうでもいい考えについて。

 

 

わかるひとにしかわからんやろし、興味のある人は少ないやろう話題(それでも書きたいから書くw)。

 

 

テーマとしては、音と言葉とコミュニケーションについて。

 

 

私は中学生の頃に「作詞作曲して歌いたい」という野望を抱いて以来、うっすらとはその夢を抱き続けてきたんよね。

 

 

もうちょっとハッキリした野望には「作家になる」があったんやけど。

 

 

いずれにせよ、言葉を使って表現したいってことやったんやろうね、今思うと。

 

 

で、小説にしろ歌詞にしろ創る際には非常に言葉にこだわっていたし、今も言葉にはとても興味はある。

 

 

でもさ、いろーんなことを学んだ結果、今の境地としては「コミュニケーションに言葉は不要・・・?」みたいなところ。

 

 

もしもいわゆる高次元の世界があれば、そこではきっとテレパシーのようなもので意識を共有できる。

 

 

そのときは思い浮かんでいるものがダイレクトに伝わるから、言葉という「説明のためのツール」を使う必要がない。

 

 

言葉ってね、自分のイメージを相手に伝えるためのツールで、それってイメージを「翻訳」してるってことやと思うわけ。

 

 

で、ちょっと脱線するけども、昔々の日本人は今よりずっと言葉を大事にしていて日本語は「かなり正確なイメージの翻訳ツール」やったと言われてる。

 

 

恐らく方言とか一部地域だけで通用する言語も、その地域で意味を制限して翻訳のブレが起こりにくくするためのものだった一面があるのでは? と感じてる。

 

 

なんやけども。

 

 

近代になって日本に外来語が入ってくるようになると、「イメージを言葉(日本語)で翻訳する」作業に、外国の言葉を日本語に翻訳するという作業がはさまって、お互いのイメージの受け渡しに誤差みたいなものが生まれやすくなってしまった。

 

 

だから「思い違い」が生まれやすくなった、と言われているん。

 

 

そこから発展して争いが生まれやすくなったとか、分断が生まれやすくなったとも言われる。

 

 

そういうこともあって、ささやかな足掻きではあるけれども私も可能な限り外来語(カタカナ語)に頼らずコミュニケーションを取ろうとしてる。

 

 

散々「コミュニケーション」とか「イメージ」とか言うててアレやけどもw

 

 

私の今年の抱負は「基本に戻る」なんやけど、これもその一環。

 

 

脱線終わりw

 

 

で、「コミュニケーションに言葉は不要?」って話に戻るけど。

 

 

楽譜も読めんし楽器もでけへんのに音楽したいと言い続けて、歌詞なんかは結構練りに練ったりしてた時代もあるけども、ある時期から「言葉のない歌」にとても惹かれるようになった。

 

 

多分、きっかけはEnigmaのReturn to innocenceのコーラス部分やったと思うんやけど(この部分が台湾のアミ族のものと今知った!)。

 

 

前にも書いたかもやけど、吉田兄弟のOne long riverにハマって、自分もこういう音楽がやりたいと思うようになった。

 

 

 

 

 

もうこれは勝手な受け取りではあるけどもタイトルが「One Long River」とあって、あとはなんの歌詞もないのに、これを聴く私の脳内には

 

 

空がサッと掻き曇り雨が激しく海にも山にも降り注ぎ木々を濡らして地面を濡らし、

 

 

その水分が地中深く染み込んで源流の元になり湧き水となり小川となり大河となり海へ注ぎ込んでいく、

 

 

水の循環の物語の情景が浮かぶ。

 

 

タイトル以外には何一つ説明する言葉もないのに音と声に導かれて。

 

 

歌って、どれだけ受け取り手に委ねても歌詞があれば言葉の持つ意味に縛られる。

 

 

ただコーラス?ハミング?、そういう言葉以外の声に気持ちを乗せて歌えば、聴き手が自由に想像する。

 

 

そういう音楽が自由でいいなぁ、やってみたいなぁと思う。

 

 

今やってるのはガチガチに恋愛系の歌やけどもw

 

 

結局のところ。

 

 

こういうこともまた「自由を愛する数秘5」の気質ともとれて面白い。

 

 

私も自由に歌う、あなたも自由に受け取って、という形式。

 

 

言葉を使わず、音という波動を使って。

 

 

自分がそうだから言うわけではないけども(でも自分がそうだから分析してわかった)、5はかなり「波動」や「音」に親和性がある数字だと思う。

 

 

元々言葉を使ったコミュニケーションが得意な数字ではあるけども、その大元はきっと「(イメージから言葉への)翻訳が得意」という意味ではないかな? と思ってる。

 

 

面白いのは5には「海外」「異文化への興味」みたいな要素もあるから、やっぱり「翻訳」とはそもそも縁深いのよね。

 

 

そしてこのコミュニケーションというのはかなり軽やかなイメージで、特定の個人と親密な(重い)関係性を育むためのものではないと思う。

 

 

だから数秘的解釈で細かく説明すると、数秘5はコミュニケーションに長けているとか言葉をうまく使えると言われるけれども、それは恐らくイメージの翻訳ツールとしての言葉を使いこなす能力が高いということ。

 

 

頭の中にあるものを相手に受け取りやすい形で提示することが出来る、という意味。

 

 

誰とでも深く繋がっていく、ということではない。

 

 

むしろその点は「軽さ」を重視する数字ゆえに反対かもね。

 

 

どんな関係性にも(親子や兄弟、夫婦でも)ある種の軽やかさを求める。

 

 

・・・段々自分でも「小難しいこと言うてんなぁ」と思って来たからこの辺にしとくけどw

 

 

まぁこの手のことを日々重箱の隅をつつくように考えてる私です。アハハ

 

 

そして大抵すべては数秘術に関連していく(というかさせてしまう)。

 

 

そんな私のセッションやら講座やらもよろしければ。

そういや「セッション」も言い替えたいけど「鑑定」とは違うんよなぁ・・・