私の数秘術の「人物」の見方では、基本数(生年月日を全部足したメインの数字)以外にも過去数・未来数を加えて判断するんね。
しょっぱなからぶっちゃけるけど、これはすごく「都合のいい見方」なんよ。
でも私が数秘を使うのは「生きやすくなるため」なので、大事なのはそれの達成であって数秘の使い方がどうとか当たる当たらんとかはどうでもいいん。
持ってる数字をどういう風に使うか?
たとえば私は基本数が5
なので子どもの頃から根気はないし毎日同じことをするのが苦手。
実際に「何をやっても続かないよね」的なことは人生で何度も周りから言われてきたし、それは大抵は「欠点」として指摘されたと思っていたので、いつしか「自分は何もかもが中途半端な人間」みたいな自己評価に繋がった。
これって一度そういう思い込みが自分の中で固定すると、何をするにも「でも自分は続かないしな」という受け止めになる。
赤いレンズのサングラスをかけたら、視界に映るものが全部赤っぽく見えるみたいに。
で、本来は
「やりたいことはなんでもやってみる。続くかどうかではなくたくさんの経験をするのが目的」
であったはずなのに、
「ひとつのことを貫く」ことを目的に置いたりして、でもそんなの楽しくないから続かなくて「ほらね、やっぱり私って中途半端な人間」と、その思い込みが強化されていくという悪循環。
「やりたいからやってみる」
→「ちょっとやったら満足」
→「次へ行く」
→「満足」
→繰り返す
→自分の中に多種多様な経験値が重なり世界を多角的に見ることが出来る
本来ならこのパターンが5の自然な姿
でも
「やりたいからやってみる」
→「ちょっとやったら満足」
→「次へ行く」
→自分は満足なのに他人に「何やっても続かんね」と言われて辞めづらい
→渋々続ける
→でも結局辞める
→やっぱり自分は中途半端なんだと落ち込む
→もう続けられないかもしれないから何も手を出さずにいよう
なんてことになったら、5の魅力は全て死ぬのよ~~~
って話でね。
ここで冒頭の過去数も未来数も使うよ、に戻るんやけども。
本来は「いや、そもそも続けるとか成し遂げるとかが人生の目的じゃないし」と割り切れたら一番いいけども、なかなかそこまで行けないときに過去数や未来数を使うわけ。
たとえば私は過去数に4がある。
今の年齢だと実際には未来数の影響が強くて過去数の影響は弱いかもしれんけど、それでも根底に4を持っているならば、「もしかすると場合によっては私だって何かを続けられる可能性はあるかも?」と考える余地はあるってこと。
ポイントは「場合によっては」ってとこね。
4があるからコツコツできます、続けられますという単純な話ではないのよ。
それやったら元々4があるんやから今までにもそれが生きてたはずやん、というツッコミが生まれるし。
あくまで「場合によっては」なんよ。
その場合とは「本気で好きなことなら」とか「すごくやる気がある時なら」とか、何か自分的に理由付けができる場合ね。
私は今、数秘術に関しては珍しく何年も高いレベルで興味が持続してる。
これは「場合によっては」に当てはめたら、「めっちゃ奥が深くて面白いから」であるし、「次から次からイメージが湧いてくるから」であるし、「数字以外の自分の興味とものすごくシンクロするから」続けられているんよ。
ま、ひとことで言えば数秘術というものが、5の私を飽きさせないものであったってことやけど。
あのさ、当たり前なんやけども人は自己評価通りの自分に仕上がっていくんよ。
だから自分で自分を気に入るというのが大事よ~と私は繰り返し話してるんやけども。
今日の私の例でいえばさ、「中途半端なダメ人間」という自己評価ではなくて「いろんな経験をして世界を多角的に見ることが出来る私」の方が素敵やん。
それでもまだ「続けられる人間」になりたい気持ちを捨てきれないなら、自分の持ってる数字をうまく使ってほんのちょっとでも何かを続けてみて「私だって場合によっては続けられる」と思えればいいんじゃないかな、ってことね。
そういう気持ちで取り組んでみれば「他人に中途半端とは言われないレベルまで」は続けられるかもしれんし。
ちょっとした成功体験を作っておけばそれがお守り代わりにもなるしね。
今日は数秘5の私でたとえたけど、これはすべての数字にも言えることやからね。
みなさんもちょっと自分の持ってる数字の点検をしてみてね。
3つとも同じ数字の人にだって打てる手はあるよ~
セッションは7月残り1~2枠しかないけど、タイミングが合えばぜひ~