(今日もまた長い自分語りなんやけど。よろしければおつきあいくださいな。)
30代半ばの頃に軽く心を病んだことがある。
長年付き合っていた恋人に振られ、婚活も転職活動もうまくいかず、お金にも困っていた。
正社員としての仕事が見つからないので、繋ぎのつもりで生命保険会社のコールセンターでバイトしていた。
当時住んでいたマンションはボロボロの1K。
ベランダの正面には中年男性がひとりで住む一軒家の2階の窓があり、隣の部屋は近所の温泉施設で働く韓国人のおばさんたちの寮になっていて、彼女らが夜中の3時に帰ってきて大声で喋りだすので寝られなかった。
何もかもが最悪だった(と当時は思っていた)。
経済的な不安
この先ずっと一人なのかという不安
婚活では自分にはもう女性としての価値がないのかと落ち込み
転職活動では面接にすらたどり着けない自分に社会的な価値がないのだと感じて
日に日に強まる自己否定感。
親にも頼れない。頼れる相手はひとりも思い浮かばない。
そんなある日、コールセンターの仕事に行けなくなった。
それまでも朝は平気なのに出勤途中でお腹が痛くなる、ということが続いてはいた。
それでもなんとか出勤していたのに、ある日お腹が痛くなって途中下車して駅のベンチに座り「もう無理や」と思った。
「何もかもが無理や」と思った。
職場に連絡して体調不良で少し休みをもらった。
家にいても何もする気になれず、考えるのは暗いことばかりだった。
当時も猫を飼っていたからなんとか生きていられたんだと思う。
まだ「自分が居なくなったらこの子たちがどうなるか」を考えられるだけの余裕はあったんだろう。
何もしなくてもお金は要る。
奨学金の返済やらなんやらで借金もあった。
いつまでも働かないでいるわけにはいかない。
でも仕事がない。働く気力もない。
収入もないのにお腹が減る自分に腹が立ったり悲しくなったりもした。
300円だけ握りしめて100円ローソンに行って、それでなんとか今日一日の食料を確保しなければ、という日々だった。
友だちから結婚式の招待状が届いても、お金がないからもちろん行けなかった。
お金がないから行けないとは言えず、仕事を休めないとかなんとか言って欠席の返事をした。
そもそも友だちとちょっとランチに行く余裕さえなかった。
そんな自分が情けなくてまた落ち込んだ。
コールセンターの仕事はバイトだしまだ働き始めて数ヶ月で有休も何の保証もない。
いろんなことがずっとぐるぐる頭の中を回る。
「何してるんやろ」「こんな人生に意味があるんやろか」というところに当然のようにたどり着く。
いなくなりたい、と思う日々。
そんな日々の中である日ふと「おかしい」と思った。
「私ってこういう感じやったっけ?」と思った。
今思えば数秘5的に「暗いのに飽きた」のかもしれないし、スピ的に「何かが教えてくれた」のかもしれない。
とにかく「これは本来の私ではない」と思って、「心を病んでるかも」と心療内科を調べた。
20年ほど前のその頃は今ほど心療内科はメジャーな存在ではなかったし、そこへ行くことには多少のネガティブなイメージもあった。
でもそんなことは言ってられない、という感じだった。
予約して行ってみたそのクリニックのお医者さんは、どこにでもいそうな中年男性だった。
淡々と症状を訊かれて自分の今を話しているうちに私は泣き出した。
本来私は人前であまり泣かない。
それなのに涙がとめどなく流れて自分でも驚いた。
久しぶりにちゃんと誰かと会話したということも要因だったかもしれない。
帰り際には、穏やかに話を聞いてくれたそのお医者さんにちょっとした好意さえ抱きそうになった。
でもそのときには「これが恋愛転移か?!」と分析できるぐらいにはすでに自分らしさを取り戻していた。
「適応障害」と診断されて、それから少しだけそこに通った。
もらった薬を飲みだしたら、目の前の曇りが少しずつ晴れた。
薬のおかげだったのか最初の診療で嗚咽するぐらい泣いてスッキリしたのか、とにかく自分でも「モードが変わった」のがわかった。
ストレスの直接の引き金がコールセンターの仕事だと感じていたので、そこも辞めた。
案外真面目にそこそこ上手に仕事をこなしていたので、上司は「休職」をすすめて引き留めてくれたが仕事内容が無理だったのできっぱり辞めた。
今にして思えばその仕事は私には向かないというか、やってはいけない職種だった。
生命保険会社の保険給付係のコールセンター。
ヘッドフォンをつけて常に耳から音が入ってくる。
電子音も辛いし、見知らぬお客さんの声を聞き続けるのも辛い。
おまけに話す内容がごくスムーズに「病気や怪我で入院していたけど退院したので医療保険の給付手続きをする」ならまだいい。
問題は「実は保険でカバーできないものであった」とか「当人が亡くなってしまった」というとき。
要するに悲しみや怒りのエネルギーを常に受け取る状態は、HSPで数秘5の私が最もやってはいけない仕事の一つだった。
当時はまだ自分がHSPとも数秘5とも知らなかったので仕方ないが。
まぁそうしてコールセンターも辞めて、短期間だけ通院して薬を飲んだらまた元の自分に戻っていった。
そこからしばらくして人生はまた動き出す。
面接にすらたどり着けなくて苦戦していた転職活動だったのに、自分が気に入って使っている商品のHPでその会社の求人を見つけて履歴書を送ったらあっさり採用になった。
不思議なことに履歴書を投函したときには「採用される」とわかったので、それ以降求職活動をしなかった。
実際、採用になってその会社で働いたことは今でも私の人生の宝物のひとつだ。
・・・長い自分語りになってしまった。
こんな話をして何を伝えたかったかというと、まぁ人生の中でしんどいタイミングってあるよね、ってこと。
そんなときに「これって私らしい?」と自分に問えると少し違うかもね、ってこと。
私の経験など浅いモノかもしれないけど、このときのことは誰か深く悩んでいる人と話す際には「あの感じに似てるかな?」と照らし合わす物差しにはなってる。
「しんどい経験にも学びはある」とは思ってるけど、私は相変わらず「しんどいことなんか経験したくない」と思ってる。
そしてしんどい人はなるべく早くしんどくなくなる方がそりゃいいよね、と思ってる。
そのために数秘術を使えたらな、ということ。
あの頃の私に数秘のことやHSPのこと教えてあげたいもんね。
素直に聞くかはわからんけどもw
そんなこんなで長い自分語りに最後までおつきあいいただいた方がいたらありがとう!