GW中は一応休業ということで、セッションも講座もお休みいただいております。

 

 

そのため各種連絡も遅くなっております。ごめんなさいね。

 

 

と、業務連絡はこれぐらいにして。

 

 

今日は数秘1の母と数秘5の娘についてお話します。

 

 

というのもですね。

 

 

宇多田ヒカルさん親子がこのパターンで、うちの母と私もそうなんですね。

 

 

ま、3つの数字を並べると

 

 

藤圭子さん 5-1-3  

宇多田ヒカルさん 1-5-11

 

 

うちの母 6-1-1

私 4-5-9

 

 

組み合わせは全然違うんですけどね。

 

 

でも1の母親のエキセントリックさみたいなものは、すこーしわかる気がするなぁなんて思って。

 

 

多分これ、母が5で娘1ならまだいいと思うんですよ。

 

 

でも母が1のパターンだと、もう5の娘はただただ引きずり回されるしかない感じかなと思います。

 

 

うちの母も藤圭子さんほどではないにしろ、そこそこ波乱万丈な人生なんですよね。

 

 

しかも親にちゃんと愛されなかった。

 

 

だから愛し方も知らなかったんでしょうね。

 

 

おまけにほら基本数1で未来数1ですからね。

 

 

私が育った家は、母以外の全員(養父・私・弟)が母の顔色を見て暮らしてました。

 

 

当時は「ヒステリー」という言葉を使っていましたが、母は自分の要求が通らないと何かのスイッチが入ったようになり、まさに鬼の形相で驚くような汚い言葉でしかも大声で怒鳴り散らしてたんですよね。

 

 

もう家族はみんなその状態には慣れていたのでそれが怖いとかではなく、ただめんどくさくて母の言うとおりにさせていました。

 

 

要求が通れば気が済んでニコッと笑って話しかけてきたりする、あの瞬間的に別人になる感じはきっとなんらかの病であったろうと今は思いますが。

 

 

私が実家に居た間は、とりあえず両親は私という異分子にどう対するかという問題を共有することでなんとか夫婦の体を保っていたような感じでした。

 

 

でも私が家を出た後はその構図が崩れ、母の攻撃が養父に向いて大変だったようです。

 

 

そもそも言葉数も少なく影も薄い弟は養父にも母にも愛されていたので、弟に両親それぞれの攻撃性が向くことはなかったようですが。

 

 

宇多田ヒカルさんも藤圭子さんが亡くなった後のコメントで「母の攻撃性が自分や父に向かった」というようなことを書いておられましたが、母からほとんど憎しみのような罵倒を受け続けた私には少しわかる気がしました。

 

 

同じくコメントにあった「でも少女のような母」みたいなくだりもね。

 

 

ニコッと笑ったときの母の笑顔は、全部知ってる私でも「いい笑顔やな」と思うような可愛らしさがあるんですよ。

 

 

だから昔はずっと母のその笑顔を心に刻んで、母にずっとそういう笑顔で自分を見ていて欲しいとか愛して欲しいと思って辛かったものです。

 

 

今はね、もうそういうのは全部幻だとわかっていて、この先もしも母がいろんなことを忘れる状態になって、私のこともわからなくなって「誰だかわからないけど親切な娘さん」ぐらいに思ってくれたら、ああいう笑顔で接してくれることもあるかもしれんな、なんて思ってますよ。

 

 

今では音信不通でお互いに連絡し合うこともありませんが。

 

 

それがとても平和で良いと思ってます。

 

 

私はセッションでも親との関係に悩む人に「いい感じの距離をとって」という感じのことをよく言うし、「(親の世話を)自分がやりたいと思うならやればいいし、そうでないならやらなくていいと思う」と伝えます。

 

 

いずれにせよ、母も娘もお互いにお互いの人生しか生きられないから、と。

 

 

他人の人生をどうこうするなんてことは出来ないから、と。

 

 

これはお持ちの数字に関わらず、基本的なこの宇宙のルールかなと思ってることです。

 

 

数秘を知った今、もし実家に居た頃の自分が数秘を知って家族関係にそれを活かせていたら・・・と考えても、やはりどうにもならなかっただろうと思います。

 

 

母が数秘を知って動いたなら変わったかもしれない。

 

 

でも私だと無理だったでしょう。

 

 

母の数字と私の数字が逆なら、もしかするとすごくいい母娘関係になれたかもしれないと思うけど。

 

 

どれだけ数秘の知識が深まっても、やっぱり相手をどうこうすることは出来ないと思っています。

 

 

関わり合い方は変えられるし、摩擦を少なくは出来るだろうけど。

 

 

数字を善きツールとして活かせるのは自分に対してだけ。

 

 

自分が変われば自分が生きる世界は変わるので。

 

 

それは「母が優しくなった世界」に変わるのではなく、「母がどうであれ、幸せな自分でいられる世界」に変わるということ。

 

 

それで十分かな、と思っています。

 

 

宇多田ヒカルさんと藤圭子さんの母娘関係と一緒にするのは乱暴だけど、1の母と5の娘という組み合わせからいろいろ考えた、というお話でした。

 

 

まぁ多くの人にとって、肉親との関わり合いって人生の課題ではあるんですよねぇ。

 

 

私は今では随分さっぱりとしてますけども。

 

 

そんなこんなで、6月のセッションやら講座やらも募集中なのでよろしければ~