私は自分は数秘5なのに、YouTubeでは33の話ばかりしている。

 

 

 

 

 

 

こうなっているのは、自死した親友Yの数字が33と知ったことに端を発している。

 

 

 

Yを理解したくて、もちろんもうこの世にいないから直接聞けなくて観察も出来なくて、彼女の数字から探ることになった。

 

 

 

45歳で亡くなったYの生前、20代後半から30代にかけて、ほとんど毎日朝から晩まで一緒に居た時期もあった。

 

 

 

そもそもYは誰とでもすぐに仲良くなって、友人知人の数は自分でも把握できないほどだったろう。

 

 

 

それでも大抵の人に対しては「望まれる自分像」を演じていて、素の自分をあまり見せていなかった。

 

 

 

厳密には恐らく、「見せていい素」と「決して見せない素」を切り分けていた。

 

 

 

酒に酔えば「見せていい素」を出すこともあったが、多分どんなに酔ってもなんらかの心のブレーキが作動して全部を見せはしていなかった。

 

 

 

大抵の人には「決して見せない素」を、私には見せてくれていたんだと思う。

 

 

 

見せていた相手は私の知る限り、Yの数百人単位の友人知人の中でも恐らく私以外に2~3人程度だったろうと思う。

 

 

 

当時私はまだ数秘のすの字も知らなかったけど、元々の観察癖・考察癖でYのことをよく分析していた。

 

 

 

Y自身のこともそうだし、なぜ彼女がこんなに私に心を開いたのか、そして私もまた自分の素を大抵の人には見せないのになぜ彼女には見せていたのか、それについて考えることがあった。

 

 

 

当時、ぼんやりと辿り着いたのは「私たちは似ていて、私の中の要素を良くも悪くも極端にしたのがYである」という感触だった。

 

 

 

面白いことが大好きで興味のあることには情熱的に取り組むところ

 

 

 

でもすぐそれに飽きるところ

 

 

 

強がるけれども脆いところ

 

 

 

自分こそが護られたいと熱望しているのに誰かを護ろうとしてしまうところ

 

 

 

自分はきっと何者かになるはずと思い込んでいるところ

 

 

 

人を信じたいけど信じ切れないところ

 

 

 

誰も自分の本当の価値を理解できないし、逆に抱える深い闇も理解できはしないと思っているところ

 

 

 

ものすごく愛されたいのに、誰も自分を愛してくれないだろうとどこかで諦めているところ

 

 

 

あるとき突然何もかもが嫌になるところ

 

 

 

・・・と、まぁこんな感じの共通項があった。

 

 

 

また本であるとか音楽であるとかお笑いであるとか、そういうものの好みも似通っていた。

 

 

 

だから自分が「いい!」と感じた音楽や本に出会えば真っ先にYに伝えた。

 

 

 

興奮気味に伝えたら「知ってる! うちも最近気になっとってん!」と返ってくることも多かった。

 

 

 

彼女がいなくなってから数秘を学んで、彼女が5-33-8の人と知った。

 

 

 

私は4-5-9

 

 

 

いろんなことが腑に落ちた。

 

 

 

彼女の数字を見たときに、彼女はホントに私と気が合っていて多分私のことを好きでいてくれたんだろう、と思ったし、信じてくれていたんだろうとも思った。

 

 

 

この「信じる」は、私自身のパッと見ではわからない根底にある人間性みたいなものと、もうひとつ「どんな自分を見せても大丈夫だろう」と信じるということ。

 

 

 

数秘的な話をすれば。

 

 

 

33のスケールダウン版が9

 

 

 

8のスケールダウン版が4

 

 

 

Yには33と8があり、私には9と4がある。

 

 

 

だから私はYの見る世界を部分的には一緒に見ることが出来るし、9の質として自分より彼女が大きな世界を見ていることもわかる。

 

 

 

でもYの見ている世界を「同じように」見ることは出来ない。

 

 

 

5を共通して持っているから興味の先やそれに対する動き方(スピード感)が似ているのも当然で、自分がパッと盛り上がったときに同じ熱量で同じタイミングで盛り上がってくれる存在とは特別な関係になっても不思議はない。

 

 

 

だからわかる部分も似てる部分もあったけど、Yの33の気質と8の気質が陰も陽もとてつもなく増大させて、私はそのスケールについては行けなかった。

 

 

 

Yはきっと自分の理想の高さに振り回され、心のどこかでその理想を実現するには現実的な努力が必要とわかっていて、それでもどうしてもその努力が出来ない自分に絶望していたかもしれない。

 

 

 

どんどん投げやりになって「酒」という一瞬の快楽に依存して、33的に現実の世界と乖離していったんだろうと、今の私には見えてくる。

 

 

 

もちろんYが全ての33の典型例ではない。

 

 

 

残念だけどYは闇落ちした33の例といえるだろう。

 

 

 

私は「33のことをよくわかってくれる」と33の人に言われることが多い。

 

 

 

本当にわかっているかどうかは別にして、多分「心からわかろうとしてる」のに間違いはない。

 

 

 

「本気で」というニュアンスで。

 

 

 

このことは5の私にとっては珍しく長期にわたるテーマであるし、まだ当分続くだろう。

 

 

 

私はどこまで行っても「観察者」であるだろうし、こちらから33の人の現実の生活に寄り添って「個別に救う」こともないだろう。

 

 

 

それでも9の質を持って「心の在り方」について発信したり、自分を扱いかねている33の人が「自ら求めてくれる」ならば私の知見を伝えていきたいと思っている。

 

 

 

数秘を知ったことで「なぜ?」が腑に落ちることも多いから、これを必要としている人に伝えていきたいと考えている。

 

 

 

そんなこんなで個人セッションと並行して講座にも注力していくつもり。

 

 

 

4・5月は全て満枠なので、近日中に6月の予定をアップしますね。

 

 

 

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