先日、1年ぶりぐらいに占いの師匠と電話で話した。
私の師匠は石尾紫峰先生といって、大阪の手相の先生の中では知る人ぞ知る有名人やった。
(もうかなり前に引退されたけど。)
マンションの一室に小さな看板を掲げてるだけで、HPもなければもちろんほかのSNSもLINEもなんにもない。
携帯電話(それもかなり遅い時期まではガラケー)と薄いスケジュール帳ひとつで商売してるだけやのに、土日なんかは3ヶ月先までいつも予約が埋まってた。
私も初めてみてもらう時、2~3ヶ月待った。
キャリアもめちゃくちゃ長いから数万人単位で鑑定してはった。
最初は手相1時間2,000円で、雑誌の占い特集で取り上げられた時にほかの先生に比べてひとりだけ安すぎるからと編集者さんに言われて渋々3,000円にした、みたいな感じで激安やった。
(それでも1,000円しかあがってないw ほかの人はみんな1万円とかそれ以上やのにww)
先生は物心ついたころから占いに興味があって様々な占術を習ったり独学で学んだりして、最終的に手相と四柱推命が残り、手相についてはどんどん独自の見方を開発して最終的には「何か」を日にち単位で当てたりしてた。
もちろんこれだけでもかなり凄いけど、先生がさらに凄いのはただ占いだけを研究してても実際の問題の手助けにならないと考えて、依頼者さんの抱える現実的問題に現実的助言が出来るように、民法であるとか介護であるとか相続であるとか、そういうことに関する書籍も本棚にずらりと並んでいた。
そんな先生はアナログだったからもちろんオンラインなどやってないけど、全国から手紙での依頼も来ていた。
相談者も相談内容も多岐に渡って、現役時代にはマンションという密室で男性の依頼者に「身体の悩み」として下半身を露出されたとか、ヤのつく職業の人の生きるか死ぬかの相談を受けたとか、怖い目にも何度も遭われている(ご本人は「怖い目」とは仰らないが)。
先生はわかりやすく「優しい」タイプではないけれども、喋っているといつも元気が出て帰りには足取りが軽くなった。
私が愛猫を亡くして落ち込んでいたときには「あんた、動物なんかみんないつかは死ぬもんやんか」と言い放ち、聞きようによっては冷たいかもしれないけど私には「確かにそれはそうかもしれん」と思えて、少し気持ちが軽くなったりした。
ま、そういう先生なんよ。
長い前置き終わり。
いつも前置きが長いってわけ
で、私はずっと先生に「小説家になりたい」という話をしていた。
小説家になることは小さい頃からずっと私の夢だった。
そんな私が今は数秘で人さまの相談にのってお金をいただいている。
一度は「弟子は取らない」という先生のもとに押しかけて強引に弟子になったのに、四柱推命は性に合わなくて途中で挫折した。
2年ぐらいは通ったのに結局初級が終わったぐらいで、今ではすっかり忘れてしまったw
そういう私であるけれども先生とは縁が切れずに細々とでも繋がっていて、この度めでたく数秘の専業になることを報告したら、「数秘が合ってたんやなぁ」と言って喜んでくださった。
私は覚えてなかったけども(;^ω^)、先生は私に対して「タロットの方が向いてる」と助言してくださったことがあるらしい。
「物語を紡ぐ」ことに近い占術の方がいい、という意味で。
だから「私はタロットと思ってたけど、数秘やったんやな」と仰ってた。
創造力やら物語性やらを活かせるから数秘はピッタリやんか、とも言ってくださった。
先生にそう言われて、「確かに」と改めて思ったし、自分がしたいのはやっぱり「占うこと」ではなく、その人の人生の物語を一緒に解読して、もしもストーリーが思うように展開していないならいい感じに転がるように修正して、最終的にはハッピーエンドで大団円を迎えられるように手伝うことなんやな、と腑に落ちた。
「小説書いてきたことがここで活きるやん」とも言われた。
確かに私の頭には物語の起承転結でも守破離でもパターンは入ってるし、王道でも邪道でも物語の組み立てのイメージはいくらでも浮かべることが出来る。
数字をキャラクターに見立てて、そのキャラならどんな環境でどう振舞うかは深く考えずとも浮かぶし、確かにそれは私の強みなんやと思う。
そもそも自分でも最初からこのブログタイトルですら「猫と数秘と物語」にしてるように、「数秘×物語」が私のオリジナリティと思ってたのに、その原点を近頃少し忘れてた。
先生と話してそれを思い出せたことは、とても大きな収穫やった。
そんなこんなでちょっと初心に戻って、セッション内容やら講座の内容やら見直したい気持ちになってる。
多分、今はまだ大きく手直しはしないけど、今後はどこかのタイミングで価格も含め変更するつもり。
そんなわけで今のメニューに興味を持ってくれた方は心持ちお急ぎいただけたらと思う次第よ~