セッションをしていると、「宗教二世」の方や過去に宗教にどっぷり浸かっていた方とお話することがちょいちょいある。

 

 

 

これは私のやっていることが「占い」の範疇であるから、まぁ当然と言えば当然かもしれない。

 

 

 

宗教と占いは親戚みたいなものではあるから。

 

 

 

日本人は「宗教」と聞くと眉を顰める傾向があるけれども、それは恐らく新興宗教のイメージが強いのではないかな? と思う。

 

 

 

統〇教会やオ〇ム真理教のような。

 

 

 

あるいは選挙になるとやたら電話をかけてくることで有名な、そしてかなり押しの強い印象のあの宗教であるとか。

(ちなみにうちの実家もこの宗教の親戚といざこざがあった。)

 

 

 

セッションで宗教が自分にとってのネガティブ要素であると語る方の多くは、新興宗教に関係しておられたりする。

 

 

 

前述のものかどうかはわからないけれど。

 

 

 

でも私自身は「自分も何かの信仰を持ちたい」と強く思った時期がある。

 

 

 

それは趣味で手相をみていた(といっても頼まれて人をみることがあった)母親が私の手を見て「あんたは何か人生においての柱を持たなあかん。信仰のようなものを」と言ったのがずっと引っかかっていたせいもあるかもしれない。

 

 

 

そういう意味でも親の呪縛とは恐ろしい物だと思うけど。

 

 

 

それはともかく、心の底から信じられるもので純粋な気持ちで祈りをささげられるような対象が欲しかった時期があるのだ。

 

 

 

自分が人生において迷ったときに指針となるような教えをもたらしてくれるものが。

 

 

 

だからある時期は仏教も神道も調べたりしたけども、「これ!」というものに出会えなかった。

 

 

 

当時の自分の中では「唯一神」よりは森羅万象すべてに神が宿っている、という考えがしっくりきていて、日本の昔ながらのあっちにもこっちにも神がいる世界観が好きだった。

 

 

 

アニミズムにも近いような。

 

 

 

その考えは今でも変わらないけど、今は「その先」にも思いを馳せている。

 

 

 

すべての有機物無機物に命や魂があるとして、それらすべての大元になる何かがある、という風に。

 

 

 

たまには全員集合することもある

 

 

 

いずれにせよ、「信仰を持ちたい」と思ったけれども特別な何かには出会わないまま今に至っている。

 

 

 

それでも特に不便はないし、母の呪縛も解けているので信仰なくとも日々は幸せに過ぎている。

 

 

 

考えようによっては特に何にもハマらなかった私の人生において、唯一「猫」だけがどうしても欠かせないものであり人生に指針を与えてくれるものでもある。

 

 

 

だから私にとっての神は「猫」なのかもしれん、なんて思う。

 

 

 

これは真面目に。

 

 

 

誰か有名人を本気で推している人たちも似た感じかもしれない。

 

 

 

そういう人が推しのことを「神」というのは、きっと大げさなわけでもふざけてるわけでもなく本当なんだと思う。

 

 

 

そしてやっぱり自分の人生に「神」がいるのは、幸せなことなんじゃないかと思う。

 

 

 

そのことで人に迷惑をかけないのであれば。

 

 

 

ただ自分の中で大切にして生きるのであれば。

 

 

 

そんなわけで「猫」や「推し」が「神」になる時代、それもまた良しなんて思うこの頃。