自分を大事にするとか優先するとかってことが「わがままなんじゃないか」と感じられて躊躇する人は、とても優しい人だと思う。
私は優しくはない。
数秘と出会って5の自分の身勝手さみたいなものがよくわかった。
子供の頃から私は、たとえば遊ぶ約束をしていた友だちが「おばあちゃんの具合が悪いから今日はやめておく」と言ったとき、「家にはお母さんもいるし、あなたが家にいたっておばあちゃんの具合は変わらないのになんで遊べないの?」と考えるような子供だった。
若い頃には、恋人との予定が急遽入れば友だちとの先約があっても平気でキャンセルしたりしてた。
それも角が立たないような嘘の一つもつかず、ありのままを話して。
そんな私なので、そもそも自分を優先することに葛藤はない。
そして今となっては自分のそういう部分を「なかなかいい」とさえ思っている。
自分の人生を振り返った時、これぐらいの考え方が無ければとっくに潰れていただろうと思うから。
年齢を重ねて「わがままの何が悪いの?」とすら思うようになってきた。
わがままを言ったって、それを聞き入れるかどうかの決定権は相手にある。
「私はこうしたい」「私はこう思う」と表明することは自由で、それが受け入れられるかどうは相手次第。
そもそもそんな風に自分の意見をはっきり言うのはわがままでもなんでもないと思うけど。
遊んで欲しいときに飼い主の都合は関係なし
多分私たちはみんな、いつかどこかの「言わなくてもわかりあえる」宇宙で生きていた時代があったんだろう。
だから言わなくても通じるような錯覚をすることがあるし、察してくれない相手を責めたくなる。
でもここ(地球)では、言わないと伝わらないし、自分が動かないと何も変わらない。
いつでも誰かを優先することが自分の喜びであるなら、それもまたいい。
でもその根底に「嫌われたくない」に類するような想いがあるなら、少し変えていってみてもいいかなと思ってる。
あなたの人生で一番嫌われていけない相手は、あなた自身。
あなたがあなたを嫌ったら、人生が楽しくて幸せなものになるはずないからね。
まぁさすがに私ほどわがままになる必要はないかもやけど、いつも誰かを優先してきた人は、ちょっと心の中にミニサイズのミネコスを飼ってみるぐらいの気持ちを持つといいかもね。
多分それ、あんまり可愛くはないやろけどもw