「ミネコス式数秘術講座」を今月から始めた。
リクエストのお声は結構いただいてはいたけども、疑り深い私は「そうは言うても実際に申し込んでくれる人はどれぐらいおるやろか・・・」と思っていたん。
ところが始めてみたらば、セッションで「講座があったら受けたいです!」と言ってくれていた人たちはもちろんのこと、セッションを受けてない人までもが続々と申し込んでくれて、2月3月のスケジュールのうち半数以上が講座でうまった。
「やってみやんとわからんもんやね」と思うし、「流れに乗ってみたら結果オーライやったね」とも思う。
今はありがたいことに、翌月のスケジュールを公開したらなんとな~くのうちに全部うまる。
もちろん今の私はまだ兼業やし、一日にせいぜい3件までしか受けないので全体の数が少ないってことはあるとしても。
でもそれでも、「こんなことってあるんやな~」みたいな気持ち。
何かを訴えるお嬢の画像でひとやすみ
過去の私は「やりたいこと」があっても、大抵はやらない言い訳が勝って動かずにいた。
でも今、4月からは占いを本業にするところまでこられたのは、きっと動いたから。
とはいえ数秘5でもあるし、動く時に「決意」や「覚悟」はなかった。
遅い再婚(50歳の時)で、もうフルタイムで働くのが体力的にもしんどいからと徒歩で行ける職場のパート主婦におさまって、いろいろ余裕が出来たから動けたんやと思う。
それって、パート主婦でいさせてくれて、「老後の小遣い稼ぎのために占いを学びたい」という私のわがままを許してくれた旦那はんのおかげが大きい。
独りで学んでる間は前に進んでる感じもあるしまだいいとして、いざ「それでお金をもらうには?」って段階に行くと、なかなか大変やったかもしれん。
「かもしれん」なんてひとごとみたいに言ってるのは、当時も「それでどうしてもお金を稼がないといけない!」という危機感もなければ、パート先でもそれなりに楽しくやってて焦ってなかったから。
焦ってはなかったけど、お金にすることはそうすんなりとはいかなくて、「さてどうしたものかな?」という気持ちではあった。
それでもね、動き続けてはいたん。
ものすごく小さな動きでも。
止まったり、投げ出しはしなかった。
多分、そこに「面白さ」があったから。
面白くなかったら、5の私は続けられなかったやろと思う。
「数秘術」との出会いって大きかったんよね。
私の「占い道」の入り口は四柱推命で、先生のもとに2年ぐらいは通ったけど(月に1~2回やけども)、全然自分が「掴んだ」気はしてなくて、たまに知人に鑑定を頼まれても全く自信はなかった。
今でも、当時の鑑定らしきもののことを思い出すと冷や汗が出そうになるほど。
それが数秘術に関しては、割りと堂々と言い切れる。
当たる当たらんではなく、自分の見解として発言できるから。
多分、数秘術での見方って基本さえ押さえておけばあとは意味の広げ方は自由な気がする。
それが私にはとても合っていたんやと思う。
だから「動く」のはもちろん大事なんやけども、やっぱり好きなことに対してでないと「動き続ける」のは難しいかもしれん。
もちろん「あれやってこれやって」と、やることを変えながら動くんでもいいけど、理想は大枠は同じでその中で動き続けるのがいいかな、と思ってる。
大枠というのは、ジャンルが同じとかテイストが同じとか、何かそれらを貫く共通項がある、という意味で。
人間はこの世に生まれ落ちた瞬間から、物理的に死ぬまで変化し続ける生き物やし、変化が「自然」ならばずっと同じでいようとすることは「不自然」やからどこかで歪みが出るのは必定。
だから数秘で言っても、その数字なりの動き方で動き続けて変化し続けて、その数字なりの人生を自分でいい感じにクリエイトしていきたいよね、って話。
そして「動いた私ってえらいよな~」という自画自賛の話でもある。ホホホ
ま、なんにせよ、ミネコスに関わってくれるたくさんの人たちにはほんまに愛と感謝でいっぱいよ。アリガトー♡