湯たんぽに集うヒトビトを見て和む朝
(寒いもんね~)
昨夜、旦那はんと一緒にゴミ出しに行ったときのこと。
旦那はんがよろけてふらふらして倒れそうになったん。
ものすごくドキッとして、そのあともしばらく心の中で「大丈夫? 体のどこか悪いんじゃないの(脳出血的なこととか)?」と思ったけど口には出さなかった。
その後も「翌朝、旦那はんが冷たくなってたら・・・」と思ったりもした。
それで思い出したん。
そうや、私は昔、超絶心配性やったな、と。
今回のことは、自分の脳裏に「昨日の夜、PC作業中のパートナーの背中に『おやすみ』と声をかけて、翌朝PC前で冷たくなってるのを発見した(脳出血で)」という友だちがいるので、それがよぎったわけ。
でも、そんなこと関係なしに、昔の私なら今回みたいなとき「旦那はんが突然いなくなったら・・・」というテーマで一晩中延々と悩むことが出来ただろう。
悲しくて怖くて泣いたと思う。
起こりもしてない未来を想像して。
でも今は、ちょっと心配して、「やっぱとりあえず食生活の見直しやな」みたいに前向きな方向に自分の意識を向けられるようになってる。
これはね、極度の「先取り不安症候群(勝手に名付けた)」だった人間からすると、ものすごい成長やと思うわけ。
それで「いや~私、やっぱ変わったわ~えらいわ~」と思いながら眠りについた。
朝一番で旦那はんが生きてるか確認はしたけどもw
普段はこういうことに気づきもしないほど、今の私は「先取り不安症候群」ではなくなってる。
なぜなら不安が顔を出してもすぐに「それはそのときのこと」と思えるようになったから。
もしも本当にその心配事が起こるとして、それがたとえば一週間後やとして。
その間に完璧にそれを防ぐ行動を起こせるようなことならともかく、ただただ不安に思うだけなんやったら一週間がもったいなくない?
というのが、今の私の考え方。
なんていうか、今は「もし何かが起こっても、そのときはきっとそれに即した動きが出来るやろう」という、自分に対する信頼みたいなものがあるからなんよ。
昔も「なんだかんだ言うても、いざというとき動ける自分」みたいなものを信じてるとこはあったのに、それを押しのけて不安がってた感じ。
何が起ころうと何とかする自分、というイメージを持つことが、「大きな力に身を任せる」に繋がるんちゃうかなぁと思うこの頃なわけ。