以前「江戸五色不動」巡りをした。東京の地名にも一部残る、目黒、目青、目赤、目白、目黄の五体のお不動さんである。
最近これに似たようなもので「江戸六地蔵」というのがあるのを知り、それらを巡ってみることにした。(ひま人ですので)
そもそも、京都に京都六地蔵というのがあり、それに倣ったのが江戸六地蔵である。
ただし、京都は平安時代初期に六体の地蔵菩薩像が作られ、江戸のものは江戸時代初期に作られた。
なぜ六体かというと、京都から始まる六つの街道(奈良、大坂、丹波、周山、鞍馬、東海道)の街道口に置かれたからである。
江戸のほうは、京都に倣って「六」とはしたものの、江戸から出る街道は主要なものが五つ(東海道、中山道、日光、甲州、奥州)であったが、なかば無理やり千葉街道の街道口にもお地蔵さんを安置したようです。
ちなみに千葉街道口の第六番のお地蔵さんは、現存しないそうです。
だから、めぐるのは五つです。
六体のお地蔵さまは、「丈六仏」といって、お釈迦さまの身長と同じ一丈六尺=約4.8mの半分の大きさに作られているそうです。座れば半分の2.4mだが、立てば一丈六尺になるので、坐像も「丈六」と呼ばれているそうな。お釈迦さまはずいぶんと背が高かったのだ。
(ここまでは全地蔵めぐり、共通文)
第五番のお地蔵さまは、江東区白川の霊厳寺(れいがんじ)におわす。
浄土宗のお寺。水戸道の街道口にあたる。
都営大江戸線、東京メトロ半蔵門線の清澄白河駅、A3出口を出て左へ。
歩いて3分で、到着。
門の隣にお寺の幼稚園、その隣にかなり以前に来た深川江戸資料館が、元境内の一角らしき場所にある。
山門も本堂も新しい感じ。この周囲にはお寺が無数にあるが、このお寺はかなり広いくて、りっぱ。
山門を入って、左側にめざすお地蔵さまが。
「都有形文化財 江戸六地蔵 第五番」とある。
像高は、2.73m。
このお寺には、田沼意次のあとをうけて寛政の改革を老中として行った、松平定信の墓所がある。ちなみに定信は陸奥白河藩の殿様だったので、お墓があることの縁で周辺の町名が昭和の戦前に白河になったとさ。それ以前は清澄町。
このお寺から南に500mほどの富岡八幡の横に、永代寺といって六地蔵の第六番のお地蔵さまがおわした。明治の廃仏毀釈で壊されてしまったそうだ。お寺は今でもある。千葉街道の街道口にあたる。