ことでんに初めて乗りに行った。
一番行きたかったのは、実は仏生山の車両基地。もともと車庫好きだし、車両がたくさんいるので。
手元に上の写真の『ことでん 仏生山工場』という写真集がある。2012年にことでんの創業100周年記念事業の一環として発行されたもの。たまたまことでんのオンラインショップで買っていた。ことでんの大ファンということではなく、たまたま何かで発売を知り、買った。工場の中の写真がほとんどで、電車の写真があまりなく、当時ネットで鉄道ファンが文句を言っていた記憶がある。今はもう売っていない。
改めて再読した。実際に行った後だと、別に工場に入ったわけではないけれど、より実感を持って見れた。いろいろ参考にもなった。
2泊3日の初日が長尾線、2日目が志度線でその午後に時間があったので仏生山へ行った。べつに山があるわけでもないが、なんか縁起のいい感じの地名だ。
仏生山駅に入線する電車の窓から。お~、いっぱい電車いる~、という感じ。
仏生山駅のホーム。2面2線だ。両ホームの外側は留置線で本線とはつながっていない。
琴平方面行のホームの留置線の車止め。
仏生山車両基地は、南北に走ることでん琴平線本線の仏生山駅に隣接している。
本線の東側に、車両工場。
西側に、検車庫がある。
車両工場の全景。ホームから。写真集によると昭和45年に建てられたそうだ。
これも角度を変えて、ホームから。
外周道路から望遠で。
駅の東側の工場へは、琴平方面行の本線の駅北側から南へ1本の分岐がある。
そこから5本に分岐して留置線になる。うち1本は引き込み線になり、北の工場方面に向かって4本に分岐して工場内へと続いている。
ホームに隣接する留置線。
元京王5000系の1100形、1105/1106編成。元京王の1100形は少数派だ。
京王と琴電ではもともとの軌間が異なるので、台車は元京急の車両のものを転用しているそうな。
東側の留置線には3編成が、停まっていた。
ホームから。
留置線の車止め。
外周道路から。真ん中の緑色のラッピング車は、FORDAYSというサプリの会社のようで、2022年からこのラッピングで走っているようだ。調べるとこの会社の本社は東京で、高松、ことでんとの関係は定かでない。
ラッピング車は、元京王の1100形 1107/1108編成。
両隣は、ともに1200形の左が1201/1202編成、右が1203/1204編成。
1200形の1203/1204編成。電車の右の線路は、工場への引き込み線。ここでスイッチバックして、工場へ折り返すようだ。
駅の西側にある検車庫。
検車庫側には、本線で琴平方面に仏生山駅を過ぎた南側の本線から、北に入る分岐を使う。この分岐は、まず3本に分岐し、その先でさらに検車庫に3本、留置線などに分かれる。けっこう複雑で、よくわからん。
検車庫。3線入庫できる。
検車庫横の留置線。長尾線所属の元京急の1300形 1307/1308編成。
2003年から走っている金刀比羅宮のラッピング車。元京急の1200形、1205/1206編成。
「しあわせさん。こんぴらさん。号」という。全身こんぴらさまのシンボルカラーのウコン色。琴平線のラインカラーに近いような、少し濃いような感じだ。翌日この電車で琴電琴平まで行き、お参りした。
この写真を見てアレッと思った。電車正面に赤く「準急」とある。1967年の急行廃止後に設定された準急だが1991年に廃止され、以降全列車、普通電車になっている。
なぜか残っている準急表示がでているのだろう。
仏生山駅の高松築駅方面行ホームのすぐ裏手の留置線。仕事から帰ってきたばかりのようだ。
検車庫側には、車両洗車機がある。先の写真集には、平成22年には新品を購入したとあった。
おまけ
駅の南側、本線の横に留置線がある。
駅のホームからちらっと見える。
手前、右下に進む線路が、前述の検車庫方面への引き込み線起点。
停まっていたのは、琴平線では少数派の600形、603/604編成。
よく見ると、ラッシュ時運行の4両編成のようだ。603/604編成+α編成。
これでことでん初乗りの旅、撮影した全写真の整理が終わった。年内にできて良かった。師走にブログばかり書いていると奥さんに怒られてしまうが、きょうは買い出しにいっしょに行き、荷物持ちをした。
結果として、ことでん全編成は無理だったが、全形式の写真を撮ることができた。うれしい。天気もまずまずだった。また、どこかへ行こう。
最後に冒頭の写真集『ことでん 仏生山工場』を改めてよく読んでみた。
一番後ろに著者の写真集に寄せる想いが記されている。
その前に琴電を代表して発刊当時の取締役 真鍋康正さんが創業100周年記念事業の一環の写真集なので、一文を寄せている。
その中でことでんの略史とともに、2001年に日本の私鉄で初めて民事再生法適用申請をしたこと、その後再生に向けて取り組んできたことごとが書かれていた。この本を買った当時は読んでいなかった。
その文中に、
「経営破綻し再生を目指す過程で、地域に必要な公共交通機関とは何かを考え直すため、沿線住民にある問いかけを行ったことが出てくる。
「ことでんは、必要ですか?」という問いだ。
住民の多くから寄せられた声は、「鉄道はいるけど、ことでんは要らない」という厳しいものだった。」
さらに、
「このことが新生ことでんの原点となり、「ことでんはいるか?」と問いかけた記憶を忘れないために再生後のことでんのマスコットは、「イルカ=要るか?」とした。」とあった。
ちょっといい話ではないか。イルカのことちゃんの誕生秘話である。高松の人はみんな知っているのかもしれないが、わたしは全然知らなかった。
今回実際にことでんに乗り、この写真集を読み返さなければ、たぶん一生知らずに終ったかもしれない。うちの奥さんと高松でことでんバスに描かれたイルカのことちゃんを見て、「なんでイルカなんだろうね? 瀬戸内海だからかね?」と話していたが、それで終わっていただろう。
また、同時に今年買った本で『日本のローカル線150年史』(佐藤信之著、清談社、2023年4月発行)をめくって、ことでんについての記載がないか探してみた。
なんせ2段組みで450ページちかい本なので、全部は読めないので調べもの用にしていたのだ。
すると「第4章 ローカル私鉄の活性化の実例」の中に「再建された地方鉄道② 高松琴平電鉄」という一節があった。
その概略を書く。
「旧琴電は、創業者一族の大西潤甫が会長として君臨するワンマン経営が続いていた。」
「労使紛争が絶えず、バス事業を切り離して鉄道専業とした。その後鉄道事業が赤字化し、その穴埋め策として瓦町駅の上に9階建てのビルを建てた。これで巨額の借入金を抱え、負債は鉄道運賃収入の10倍になった。」
「また、利用者からの不満は多く、特に職員の態度については悪評が広く流布していた」(これが前述の「鉄道はいるけど、ことでんは要らない」につながっている)
「2001年に民事再生法適用申請に至り、2002年に地元財界の支援を受けて、香川日産自動車社長の真鍋康彦氏を新社長に迎え、旧経営陣は総退陣し再生計画を推進した。その後人員削減(ワンマン化も一例)、中古ながら車両の更新、冷房車化、IC乗車券の導入などに取り組んだ。この過程で職員のサービス意識も改善された。そして2006年に再生計画は終了した。」
ここに出てくる、苦難の時期に社長に就任した真鍋康彦氏は、写真集に取締役として文を寄せた、真鍋康正さんの父親である。
ネットで真鍋康正さんを調べると、2009年に就職していた他社からことでんに入社、2010年に再生計画担当の取締役に就任。2014年には父親のあとを継いで社長に就任した、その人であった。
ちなみに2023年にことでんで多発した、踏切で遮断機がおりずに電車が通過するという事件の責任を取り、真鍋康正社長は退任した。
先日、ネットでことでんのコロナからの立ち直りの兆しが見えてきたという記事を見た。運賃値上げの効果も、来年度は期待できるという。
ガンバレ、ことでん!