こんぴらさまと琴電の2泊3日の旅。最終日に晴れた。お参り日和。
そして琴電琴平駅までは初めて行く。
琴平線のラインカラーは、黄色。営業距離は、32.9kmと志度線、長尾線の倍近い長さ。高松築港駅から琴平まで約1時間。片道の運賃は、730円。全線往復すれば、1日乗車券も元は取れる。
琴平線の始発駅は、高松築港駅。長尾線の始発駅でもある。
高松城址のすぐ横にある。
高松シンボルタワーの29階展望台から見ると、↓のような感じだ。
ズームしてみると、↓のようなお城との位置関係。
それほど大きな駅舎ではない。
突き当りが、改札。改札手前、左に駅事務所や待合所、トイレなどがある。
自動改札機が3台ある。
改札の上にある時刻表。
琴平線の時刻表。ラインカラーの黄色。昼間帯は琴平行きが30分に1本、途中駅の一宮止まりが琴平行きの間に30分間隔である一宮までは15分おきに1時間に4本電車があることになる。朝夕のラッシュ時は、本数が増える。
また高松築港駅は長尾線の始発駅でもあり、瓦町駅までは同じ線路を走る。これも合わせると高松築港と瓦町間は昼間帯でも1時間に7本、ラッシュで13本に増える。
琴平線は、全線車掌が乗務する。基本ワンマン運転の長尾線も瓦町=高松築港間は車掌が乗る。
ホームは2面2線。1番線は琴平線の乗車、2番線は降車専用、3番線は長尾線の乗車となっている。
ラッシュ時は、4両編成になるのでホームが長い。改札のほうを見る。右が城址。
1,2番線の間の琴平線、線路の車止め。
3番線長尾線の車止め。
ホームのはじから。高松築港駅から栗林公園駅までは複線である。
この駅は、城の内堀を埋め立てて造られている。城址に密接しているので、面白い風景が見られる。
3番線から1番線のほうを見る。↑
反対に城址から、↑を見ると↓のように見える。
1番線ホームのすぐ下が、残っている内堀。高松城のお堀は海とつながっているので、堀に海の魚がいる。タイがいた。
1番線ホームに、そのことを説明する案内板がある。
石垣も近い。
天守閣跡から線路を望む。
築港駅に入線する1080形(元京急のデハ1000形)の1087/1088編成。
志度線のピンク色の塗装だが、どうしてなのかはわからない。線路はつながっていない。
1080形の1087/1088編成
高松築港駅からは、この1200形(元京急デハ700形)の1205/1206編成の電車で出発。こんぴらさんのシンボルカラーのウコン色一色の「しあわせさん。こんぴらさん号」という金毘羅宮のラッピング電車。これからお参りに行くので、縁起がいい。
琴平線の路線距離は、32.9km。駅は23駅ある。
瓦町駅に近づく。
トンネルのようになっているところが瓦町駅。駅の上がビルになっている。西武線の池袋駅のような感じだが、瓦町駅のホームから、外は見えない。
ここで瓦町駅を紹介。
駅の上にはこのビル(瓦町FLAGという)が建っている。改札はビルの2階にある。
このビルは、1996年に完成したそうな。その工事の際に志度線が琴平線と分断されて、逆に、つながっていなかった長尾線が築港に乗り入れることとなった。
瓦町駅。2面3線。暗いなぁ。
1番線が築港方面、2番線が琴平方面。
3番線は長尾線、長尾方面と長尾から築港行の両方向に使用。
とにかくホームが暗い、照明を何とかしたほうがいいと思う。乗客の気分が、だだ下がりになる。
瓦町駅のホームから築港方面を見たところ。
瓦町駅の改札口。駅の内側かから。↑
改札の外から。↓ 自動改札機が札機が5台。築港駅より多い。やはりオフィス街、繁華街に近いからだろう。
ここでちょっと寄り道。
長尾線で瓦町駅を出てすぐのところに長めの側線があり、昼間遊休車両が留置されていた。
1070形(元京急600形)の1073/1074編成。
瓦町に近い側線にいた、長尾線所属の1300形(元京急デハ1000形)の1307/1308編成。お~いお茶のラッピング車。
ここらで琴平線の歴史。
1926年(大正15年)琴平電鉄が、栗林公園=滝宮間を開業。
1927年(昭和2年)、滝宮=琴平間、ついで瓦町(旧高松)=栗林公園間が開業。
1943年(昭和18年)、志度線の讃岐電鉄、琴平線の琴平電鉄、長尾線の高松電気軌道の3社が国の指導で合併させられ、現在の「高松琴平電気鉄道」が発足した。
1948年(昭和23年)、築港=瓦町間が開業し、築港と琴平がつながった。
ということで、ことでん3路線の中で琴平線は、一番新しい路線ということになる。
瓦町駅を出発。
駅を出て、しばらくと言ってもほんの百メートルほど、駅ビルからつながる屋根の下を走る。
栗林公園駅を出ると単線に。
2007年に三条=太田間を高架化。国道11号高松東道路をまたいでいる。
2020年には三条=太田間が、複線化された。
太田駅からまた単線に。
つまり琴平線は、高松築港駅と栗林公園駅の間と三条駅=太田駅間が複線化されている。ただ、一宮駅までは複線化用地が確保されている。上の写真を見てもそれがわかる。
仏生山駅。撮影したのは前日。ユニバーサルホームのラッピング車。
1200形、1213/1214編成。
折り返し便の多い一宮駅。2面3線あるので運用しやすいのだろう。
直線。70km/hくらいまで飛ばす。揺れる揺れる。本は読めないくらい。
琴電琴平駅に到着。
琴平駅のホームのはしから、築港駅方面を見る。
ホームは1面2線。普段は1番線のみを使用している感じ。反対側の2番線は留置線代わりになっている。
乗ってきた1205/1206。
1番線側の車止め。
2番線側の車止め。
2番線に留置されていた4両編成の電車。
1200形の1213/1214編成↑。これと1070形の1071/1072編成↓でラッシュ時用の4両編成を構成していた。ラッシュも終わり琴平で一休みか?
1200形の1205/1206編成。「しあわせさん。こんぴらさん号」。
ドアや貫通扉にこんぴらさまの神紋にもなっている「金」の字の隷書体だそう。
車体の横に描かれた、
これは、神社にも掲示してあった。それと同じ。
改札。有人駅ではあるが、簡易ICカード読み取り機が1台だけあった。
レトロな表示。
琴平発は、基本毎時12分と42分発。わかりやすい。
ちょうど30分間隔。
駅舎。なんとも言えない。しぶい。
斜めから。
鳥居の道を右にまっすぐ進むとJRの琴平駅。
駅が川沿いにあるのがわかる。
おまけ
JR琴平駅
喫茶「駅前」の看板が目立つ。すごい店名だ。
灯ろうが並ぶ奥に駅舎がある。こちらもかなり古そう。
金刀比羅宮、通称こんぴらさんにお参りするこんぴらもうでは、江戸時代からお伊勢参りに次いで人気があったと言われている。明治以降は、鉄道による複数の参詣路線が敷かれた。
最も早かったのが、現JRの土讃線。次に今はないが、琴平参宮電鉄が多度津から、現ことでんの琴平電鉄琴平線は、1926年開業で3番目に高松から参入。その後も坂出からこれも今はなき琴平急行電鉄が登場。いずれも瀬戸内海の海沿いの街からの路線だった。
その後、岡山の宇野から高松への連絡船(宇高連絡船)が本土からの四国へのメインルートとなり、参詣客も高松を起点とする現JRとことでんを主に利用するようになった。その結果、この2社だけが生き残った。
ことでんは、1958年(昭和33年)から、急行「こんぴら号」を運行したが、1967年(昭和42年)に廃止された。
現在、ことでんは、築港と琴平間、約1時間で片道730円。一方JRは土讃線でやはり約1時間、片道980円である。運賃だけで言えばことでんの方が安く、所要時間はあまりかわらない。
帰りの電車
1080形の1087/1088編成。志度線カラーの琴平線。