以前、間違えて Ⅱ(第2巻)を先に読んでしまったものの第1巻目。
2巻目の帯に「こっちを先に読め」とあったが、理由がわかったような気がする。1巻目は、ちょっとわかりにくかった。内田樹さんと石川康宏さんの往復書簡形式で話が進んでいくのは2巻目と同じなのだが、著者たちの思いが強すぎたのか、力はいり過ぎであれこれ盛り込み過ぎでてちょっと難解だった。
そもそもが高校生にマルクスを読んで欲しいという思いから、この本は出版されたというが、これは高校生にはちょっときついと思う。2巻目の方が、たしかに読みやすかった。
かもがわ出版、2010年発行
今回、この本を読んであらためて気づかされたことがある。
それは、反ユダヤ主義と言うか、ユダヤ人が特にキリスト教の欧米圏で嫌われ者になっている理由についてである。
反ユダヤというと、ナチス・ドイツというかヒットラーによるユダヤ人虐殺がすぐに思い浮かぶ。これは20世紀に起こったことだが、実は、ユダヤははるか以前からあったものだということを、この本は改めて気づかせてくれた。たとえば、「ベニスの商人」のお話では、最後の落ちは理解はできるけど、ちょっとユダヤ人いじめみたいなものを感じるのは、私だけだろうか?
なんで、この本でユダヤなのか? それは、マルクス家は代々ユダヤ教のラビ(律法学者)の家系で、つまりマルクスもユダヤ人なのである。次男なのでラビにはならず、学者?になったようだが、25歳の時に『ユダヤ人問題によせて』という文章を書いている。それもあって、この「若者よ・・・」でもユダヤについて書かれている。
「反ユダヤ的な感情は、ヨーロッパ世界においてはしごく自然なものでした。それは、キリスト教がユダヤ教から「分派」した宗教として登場してきたから当然のことです。どのような宗教も政治党派も、「分派するだけの必然性があった」ことを主張するためには、彼らがもともと属していた「母胎」が腐りきっていて、使い物にならないものであることを主張しなければなりません。」
確かに、キリスト教もイスラム教もユダヤ教から分かれたものです。さらにイエス・キリストは、ローマ帝国に当時支配されていたユダヤ人の訴えにより処刑されたのだから、反ユダヤになるのは当然かもしれない。判決を下したのはローマ人の総督であったとしてもだ。
さらに「やがて中世に至って、ヨーロッパ全土がキリヅト教化された結果、反ユダヤ感情はヨーロッパ人の宗教感情の「基準」になりました。そして、何かキリスト教世界の結束を強める必要が出てくるごとに(疫病や戦争のたびに)、「いけにえ」としてユダヤ人を組織的に迫害することが行われたのでした。」
また、「ただ、過去2000年にわたるそういう反ユダヤ的な行動は、きわめて感情的なもので、「思想」というほど体系的なものによって基礎づけられていたものではありません。どうしてこれほどユダヤ人が憎いのか、反ユダヤ的行動をしている当人も説明できなかった。」
なるほど。
「政治思想としての近代反ユダヤ主義はその憎しみを「説明」する理論です。19世紀の本に登場しました。政治思想として反ユダヤ主義が定式化したということは、これから先、人々は「憎しみ」の支援抜きに、知性的に、事務的に、効率的にユダヤ人を殺すことが可能になったということを意味します。その近代的反ユダヤ主義の最大の「成果」がナチスによる「ホロコースト」(600万人のユダヤ人の大量虐殺)です。」
そいうことか、と合点がいったわけです。
歴史的には、西暦60年ころからローマ帝国の統治に不満を持つユダヤ人が、何回も反乱を起こし、その都度制圧されていたが、135年に時の皇帝ハドリアヌスにより、ユダヤの地の不安定要因はユダヤ教とその文化にあると断じられ、その根絶が図られ、エルアレムも徹底的に破壊され、ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁じられ、ユダヤ人は世界に四散した、という事実がある。
この時から、1948年にイギリスの陰謀で今のイスラエルが建国されるまで、ユダヤ人は祖国を失うこととなると同時に、上記のように「嫌われ者」になってしまったのである。
さらに知らなかったことだが、この本には、
「ユダヤ人はいろいろな商売をしていました。高利貸しや銀行業は彼らが独占していましたけれど、そのおおもとの原因は中世以来のユダヤ人差別で、ユダヤ人には土地の所有が許されていなかったからです。農業を営むことも、製造業を営むこともできなかった。」
へえ、そうだったんだ。知らんかった。
さらに、「金融業者がほとんどユダヤ人であったのは、伝統的にキリスト教が利息を取ることを禁止していたからです。近代になってユダヤ人が市民的に解放されたあとも、伝統的な産業は彼らの参入を忌避しました。ですから、例えば、アメリカでもユダヤ人移民たちはどこにも入り込めず、既存の業界の「隙間」(ニッチ)で生きるしかありませんでした。その後、アメリカの銀行業、ジャーナリズム、ショービジネスをユダヤ人が「支配」することになったのは、その仕事そのものを彼らが作り出したからです。自分で新しい業種を作り出す以外に生計を立てる道がなかったのです。」
なるほど、なるほど。何事も歴史的な経緯、そうなった理由と言うものがあるんだな。
締めとして、
「近代市民社会におけるユダヤ人のありようは決してユダヤ人自身が選んだものではありません。非ユダヤ人たちがユダヤ人たちをそのような生き方に追い込んでいったことが大きいとぼくは思っています。」と内田先生はおっしゃっています。
今日の中東での紛争の連続の根っこは、ローマ時代にユダヤ人がユダヤの地を追われたことに端を発している。2000年も前のことだ。これを数年で解決するということは、非常に困難なことで、へたをすればこの先2000年くらいかかってしまうのではないだろうか。