10/30 古地図で町歩き 伏見① | 白木蓮のいとおかし日記  夏は夜

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木蓮のいとおかし日記  名古屋お出かけ編 

やっとかめ文化祭の 古地図で 名古屋 町歩き 伏見です① 

信長さまの時代に 想いを馳せて オフィス街を 歩いてみます 

10/30日 地下鉄伏見駅集合でした  

 案内は 熱田 六三さん

 

 

 

 

 御園小学校 北  泥江縣神社です (ひじえあがたじんじゃ)
 名古屋駅から  東へ 2キロぐらいですね 
 泥という字がつくから この辺りは 湿地帯でした 

 

 

 

 こちらは つんぼえびすさんが います
 
 耳が遠いので 参拝は この海板を 叩いてね 

 ちなみに つんぼって 全国共通?? 名古屋弁?

 

 

 話題のたちや ここにあったのね 
 本町 錦通り 北だね 

 

 
 南を向くと 長者町繊維街 さらに南に 科学館 

 

 珍しい 聖天歓喜天さんだわ 

 この辺りに 昔の 万松寺(萬松寺) が あったとされます 

 1番最初の写真を 参考に 旧領 萬松寺とあります

今は 大須ですね 

 

 

 ここは 清須越しといわれる  
清須から家康が 名古屋城のもとに 
 お引越しさせたところです 
清須と碁盤割の城下町. 徳川家康は名古屋城を築き、
城下に碁盤割の町をつくると、 
それまで尾張の中心だった清須の町ごと名古屋へ引っ越す
「清須」を行いました。ネットより
 
 信長さまの時代は まだ 清須が中心
清須会議って 言葉があるでしょ 
 
名古屋城下町で  京都の碁盤の目のように縦横の町です 

 

 

 

 

関が原が 1600年てことは それから13年ね
ちゃくちゃくと 家康は豊臣を警戒して 名古屋城普請にあけくれた
 

今の地図 

  桜通 本町
目線が もう 違いますね 
あちらが標高が 高い   

 この数字が 標高です 
 出発地 広小路伏見 9.5mより 12.2mと3mも標高が高い 
 さらに 奥 魚の棚 呉服町は 14.3m 訳5mも 高い 
 実は この辺り 小松山という 山が あったとさ
 今は 平地に なっていますね