木蓮のいとおかし日記 歴女おでかけ編
桶狭間古戦場跡地へお出かけ 名鉄 中京競馬場前駅 北に250 m
もう一つの桶狭間古戦場で 麒麟がくるの 予習です
桶狭間の戦いの古戦場伝説地。今川義元の本陣の場所は諸説ありますが、
ここは唯一、国指定史跡となっています。
敷地内に点在する「七石表」は、
敷地内に点在する「七石表」は、
義元をはじめとする今川軍7人の戦死場所を示すといわれ、
義元がこの地で織田軍に討ち取られたことを伝えています。
ほかにも今川義元の墓など桶狭間の戦いにまつわる石碑が多数見られます。
注目は、今川軍の重臣・松井宗信の子孫が建てたとされる「桶狭弔古碑」。
注目は、今川軍の重臣・松井宗信の子孫が建てたとされる「桶狭弔古碑」。
そこには、義元が清州城を簡単におとせると豪語したこと、
信長の奇襲から義元の戦死までの顛末など、
戦いの様子が語られています。
今川側から語られることは珍しく、桶狭間の戦いを紐解く貴重な資料となっています
今川側から語られることは珍しく、桶狭間の戦いを紐解く貴重な資料となっています
肝心な席に 撮影できてない まじい・・・
藤田病院
この病院を 作るとき ほったら
下の方から 鎧や刀がわんさか
約400年前のものがね
明治か ~
いえ 道路向こうに ひとつ
お寺の中にも ひとつそうな
お昼ごろ
一枚目 赤 今川 青 織田
織田の先陣の おとり部隊が突撃
善照寺砦をでた 佐々正次と 熱田大宮司 千秋(せんしゅう)季忠が 捨て身の本隊攻撃
これにより 今川方の本体の 前と後ろが 分断されます
勿論玉砕されます
この 熱田大宮司 千秋季忠(せんしゅう)さま 覚えておいてね
これが 熱田神宮の 信長塀につながっていきますから
それに 麒麟がくるの 第1話の 加納口の戦いでも
信長の父 信秀さんも 熱田神宮の神官を
戦いに連れていましたね~
このころは 神社も寺も 戦う神主さんに坊さんなんですよ
で ①の 織田の先陣おとり部隊が 戦ったのが
名古屋の桶狭間古戦場公園(昨日の記事)
のちに このおとり部隊 佐々は 3000貫 約8億と 手厚い 恩賞をいただいたと
もちろん 熱田の 千秋さまもね
2枚目 2時ごろ 予想
あとからの 信長隊の 奇襲 の地点の本陣で
慌てた 義元は 退きながら ちょうど ここのお向かいの
高徳院の寺山を越えたところで
織田方に 討ち取られたのではないかと ボランティアさまの解説でした
なるほど・・・・ 木蓮の考えと似ていてうれしい (*^-^*)
負けた 今川義元はどうなった??
そうそう 女城主 直虎で 三浦春馬が演じていた
(まちがい 三浦さんでなく お父さんでした )
井伊直盛は この時 討たれています
鳴海城は城将・岡部元信以下が踏み留まって頑強に抵抗を続け、ついに落城しなかった。
元信は織田信長と交渉し、今川義元の首級と引き換えに開城。→
おくびもって帰るけど 夏暑くて 腐ってきて 途中の西尾に 義元さん兄弟のお寺に 預けて奉納したとさ
そういえば 西尾城の旅の時に 資料館の方が 教えてくれたわ
ここで 又つながったわー
、義元の首を携えて駿河に帰国したが、
ネットより
ここで 家康ママ 於大の方のお兄ちゃん みずのさま 登場ですね
このあと 家康君とも対面されたとこ 家康君は 岡崎に帰って 今川から 離れたとさ
古地図から 信長軍進軍ルート
義元公殉死の地は桶狭間山の北と書かれており ここだと主張
長福寺(名古屋の古戦場公園のとなり)が 南西に書かれてる
信長さまの 進軍ルート
赤が 織田方 山崎城 寺部城もあったみたい 中年オヤジさま 探そうよ(笑)
氷上城 もしかして 氷上姉子神社か そりゃ 熱田神宮の元宮ですもんね
緑が 今川方 戸部城 これ木蓮のよく行く 富部神社の戸部新左衛門さま
今川義元も 出陣前に 戸部さまを 謀反の罪で 暗殺していますが (信長の罠でした)
これ 生かしていたら この桶狭間の戦いは 変っていたでしょうね
水色の 市場城 これは?? 確かに 地名でありますが 七所神社かな?
ジモティー木蓮 めっちゃ興味 (*^-^*)
今川義元さまの 仏式お墓 これも 新しいなー??
豊明市は この時 ボランティアガイド 8名ほどいました
力の入れ具合が よくわかりますわ
ひとりだった 名古屋市 もう少し頑張れ
高徳院 ただいま 紫陽花が綺麗です
ここに 愛昇殿やら 高徳院の駐車場に みんなこっそり 車おいてましたね
ちなみに 木蓮は すぐそば いとこのおうちに 車入れておきました
高徳院は 昔から 従妹との 遊び場 もっとうっそうとしていました
子供のころ 落ち武者のおばけが 出るとか
神隠しに あうよと 言われていましたが
いまじゃ その影もないぐらい 綺麗になって ・・・
みなさん こちらの寺も あわせて 参詣ください
知多四国八十八の 本来 0番 スタート地点でもあるのです
遠くから 来た人は ここで お泊りして 翌日 1番札所からめぐったそうな・・・