宅配ピザの新CMで
BGMにチャイコフスキーの《1812年》が使われているのを耳にした。
その曲は、過去の戦争におけるロシア軍の勝利を
音楽で描いたもので、近年のウクライナ戦争勃発以降
クラシックの演奏会のレパートリーからも外されていたものだ(そのことは過去記事で書いた↓)。
【ロシアの内輪もめ | みっつ 萬ブログ (ameblo.jp)】
それがCMにも使われているというのは、芸術作品は戦争とは別という確かな考えよりも
ウクライナ戦争に対する日本の意識の薄れを感じさせる。
今年元日に起きた能登半島地震から1ヶ月が経った時に
それを伝えるニュースの見出しにあったのは
“忘れないでほしい”という被災者の声だった。驚かされた。
あれほどの大震災の後、たった1ヶ月で今の世の中はそんな空気になりかねないということだ。
(そして3ヶ月が経った最近の記事→「絶対に忘れさせない」被災者としての葛藤と記者としての思い~能登半島地震・報道現場から~【調査情報デジタル】 (msn.com)
『セクシー田中さん』をめぐる作者死亡事件が連日物議となっていた時期にも
その件がいつしか忘れ去られることを恐れる、漫画家仲間からの声があった。
近年の、恐ろしく流れの速い時代の世の中にあって
皆「忘れられる」ことを恐れている。
嫌な記憶は何十年経っても忘れないという
ネガティブな自分の特性を活かしてゆきたい😔
(忘れな草↑花言葉は「私を忘れないで」)