親孝行。してないな。
親不孝はしているけどね。
大学はあかんかった。
現役の時に今の自分の実力を見て夜間大学なり、短期大学も考えれば良かったと思う。
あの頃は国立大学地方はどこでもいいと思っていたけど、大学の夜間課程は外していた。
現役の時も1郎2浪3浪した時もそう。
近畿大学の通信教育は合わなかったのとお金がなくてやめた。
本を見て学ぶスタイルが苦手だった。
今のように映像をネットから見ることができる時代ならまだ対応は可能だったと思う。
フリーターになってしまい、警備員のアルバイトをやっていた。
これも精神的に辛かったことがあった。
資格は取れたので別の警備会社に入った。
1年数ヶ月しか持たなかった。
ワンオペの状態があり苦手だった。
助けも呼べないダメな人材だった。
やめたあと、経理事務を目指した。
6ヶ月だったが職業訓練は楽しかったし、資格も取得した。
でもバイトレベルの経理事務の仕事ですら落ちた。
色々アルバイトをしたあと、また交通雨誘導の警備のアルバイトをやった。
最初の勤務で固定の現場を持つことができた。
その工事の初めから終わりまで担当をした。
途中アルバイト先の警備会社は倒産したが、同じ現場を担当する警備会社に入り引き続き働いた。
契約社員扱いなので社会保険がついていた。
結局、現場が終わった後その警備会社はやめて待機期間はあるが失業保険をもらう見込みができた。
それで今度は訓練期間1年の職業訓練をやった。
基本情報処理技術者資格をとりAccessのVBAプログラミングはできるようになった。
でも就職は失敗し、ここから、登録型派遣の日払いの配達センター勤務、引っ越しの手伝い、派遣会社でテストエンジニアを経てまた職業訓練を受けた。
その後東京の会社に入るがリーマンショックで研修期間中に整理解雇にあった。
その後10年間紆余曲折を経て、また1年間の職業訓練を受けた後に正社員になった。
その会社で頑張ったが、教える上司が病気で倒れていなくなり、一人で調べながら仕事をしていた。
だんだん精神が病んでいって、正月明けに倒れた。
発達障害由来の適応障害を起こして抑鬱状態で働けなくなった。
私が家で療養中、父も小脳委縮症にかかり歩くことが厳しくなったのでタクシー会社を辞めた。
本来、私がちゃんと働いていたらもっと早くにタクシーの仕事をしなくても良くなったのにね。
そして病気が進み車も乗れなくなった。
私は免許は自分でお金を出して取得したが、車は乗れない。
仕事は障害者向けの職業訓練を受けた後今の作業所に入ったがまだまだだと思う。
親孝行できるほどのことはできない。
結婚なんて出会いもないし養う力もない。
そうこうしているうちに父は先日亡くなった。
親孝行はできてないな。結婚してないし子供もいないし。
姉と妹は結婚して子供も大きくなった。
お葬式も姉と妹が主導してやってもらった。
これからどうなるかはわからんが、ちゃんと生きていこうと思う。
大阪関西万博2025が楽しみだからね。