#11月に思うこと 2023年11月26日 | (工事中)のブログ

(工事中)のブログ

現在工事中です。
テーマは現在のところ思案中です。
現在は、このブログを含めて他のSNSツールのサイトの工事過程を書いていこうと思います。
とは言っても、日記です。

11月に思うこと

 

今月の初めの2日に父親が「腰が痛くてしんどい」ってことで救急搬送された。

救急車が来た時まだ歩けるようだったので歩かせたのだが、周りの様子が見えてるらしく、

「テレビを消しとけよ」

と言われてテレビのスイッチをオフにした。

 

救急隊員がやってきてエレベータ用のストレッチャーの鍵を持っていないらしく、父も歩けるようだったので救急隊員の肩を借りて歩いて救急車に向かった。

私は在宅ワークがあるので残り、母がついていった。

 

それから数時間後、「心筋梗塞だったらしい」ということで仕事を早々に切り上げ、会社に連絡した。

 

タクシーを呼ぼうと思ったが、スマホでは手段がなく、アプリを入れても電車の方が早くて安いようなので電車にて病院の最寄りえきに行った。

そこから病院へは遠くてバスに乗って最寄りのバス停前まで行きそこから歩いて行った。

 

父はICUでいろいろな管がついていた。

 

色々省略しますが、数日後、口からの気道挿管のせいで肺炎を起こして敗血症になりつつあるとのことで首から穴を開けて気道挿管した。

 

医者の懸命な対応で心臓の方は良くなりつつあったが、他のところが悪くなっていった。

 

ある日、21日に姉が医者と相談して母と一緒に大人用オムツを持参して見舞いに行く予定を決めた。

 

そんな中その見舞いの予定の朝、容体が急変し、父がなくなった。

81歳であった。

タバコを毎日欠かさず吸っていた割には長生きしたと思う。

しかしながら脚が悪くて(正確には小脳萎縮により運動能力が低下したせいだが)ヨタヨタ歩く以外は元気そうだったのに、あまりにも唐突な出来事だった。

 

そこから目まぐるしく忙しくなった。

 

私は発達障害がありそういった対応が苦手なので、姉が葬祭場を手配し、妹が住職に連絡をとって葬儀の準備をしていった。

 

私は会社に連絡する事ぐらいしかできなかった。

 

その日に葬祭場へ父の遺体が安置され僧侶が来て枕経を唱えてくれた。

 

その日は会館に泊まれないので一旦全員各々の自宅に帰った。

 

翌日、母は医院の診察があり、姉や妹が葬儀の準備をする中、私は会社に行った。

 

その日が出社日で色々年末調整の書類を書く必要があったのと、私の会社に慶弔休暇の制度がないので父が亡くなった日と葬儀の日に有給休暇の申請をして夜から通夜がある日は出社した

 

会社のブースで仕事中にふとした時に父との色々な思い出が出てきて、涙が出てきた。

花粉症の症状のように涙と鼻水が出て何もできなかった。

 

とりあえず定時で仕事を済ませて取り急ぎ家に帰った。

帰ってから喪服に着替えた。といってもズボンは入らなかったので下は黒のスラックスを履いた。

着替えている途中に車で迎えに行くと言われてその指示に従った。

 

着替え終わった後、1階にて車に乗った甥っ子と会館に向かった。

私が知っている会館までの道を教えながら行った。

なんとか混雑を避けてスムーズに行けた。

色々ヒヤヒヤしたことはありましたが。

 

通夜は滞りなく終わった。

 

 

お棺に入れるものも用意ができていた。

 

この日は姉夫婦と妹が残りあとの家族は皆家に帰った。

 

葬儀の朝になり迎えに姉夫婦に迎えに来てもらった。

家族の皆が揃い葬儀となった。

 

僧侶の読経が終わり、納棺時に写真のカゴに入っているものなどを入れた。

父が生前好きなもののタバコにマッチ。

持っていた朱印帳、お酒、大好物だったケンタッキーフライドチキンを入れた。

あと祭壇のお花を全て入れ、ゼスプリの懸賞で当てた人形も入れた。

 

この日は友引だったから。

 

そして棺に蓋をして霊柩車に運んだ。

 

そこから斎場にて最後のお別れをして出棺した。

 

待ち時間があるのでその時に料理屋にて昼食をとった。

 

そしてお骨あげをして会場に戻った。

 

会場にて初七日法要も済ませて会場を片付けて葬儀は終わった。

 

家に帰って台のうえに父の遺骨を仮安置して祭壇などの組み立ては姉と妹がやることになった。

 

翌日私は本来の休みで医院回りをしてきた。

 

本当に大変なのはこれからの諸手続き。

 

私にはできないが、姉や妹がやることになった。

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する