1967年 世界のオペラ界に衝撃が走る 。イタリアの名バリトン エットーレ・バスティアニーニが 僅か44歳の若さでこの世を去ったのだ。喉頭癌であった。伝え聞くところによると彼の発病は1962年まで遡るとの事、しかし この事態に付いては彼と担当医師及びごく限られた周囲の人々以外には 言わば緘口令が引かれ 内密の下、治療が施され、驚くなかれ 彼はその最中(さなか)にも旺盛なオペラ出演も含めた演奏活動を続行していたのである。当然 歌手としての活動を切望した彼が手術によって声帯を切除する事はあり得ず放射線治療をその主な手段として選択したのは無理からぬ事である。そしてその彼がNHK招聘のイタリア歌劇団の一員として来日しヴェルディの歌劇「トロヴァトーレ」でルーナ伯爵を歌い演じたのは まさに発病の翌年1963年の秋であった。ここで提示した映像は まさに その来日公演での「トロヴァトーレ」の一コマであり、高名なアリア 君のほほえみ”を歌う精悍な面持ちと凜とした佇まいのバスティアニーニ その人の舞台姿である。【NHKが残した貴重な映像である。】しかし 如何だろう!。ここで彼が歌うこの優れた歌唱を聴いてその奥に隠された重大な疾患を抱えた声帯のトラブルを誰が感じ取れるであろうか。万人が万人そのひた隠しにされた事実には気がつく筈もあるまい。バス歌手からスタートし 自らの高音の【冴え】に気付きバリトンとして研鑽を積み直し 改めて 世にその歌声の真価を問い 世界最高水準の評価を不動のものとした大歌手の命運はその後余りにも早く尽きてしまうのである。1965年再度 来日したバスティアニーニはNHKにスタジオ録音を残している。親日家であった彼の命をかけた【置き土産】である。思えば この時代の世界のオペラ界は実に華やかな様相を呈していた。マリア・カラス、レナータ・テバルディ、マリオ・デル・モナコ、フランコ・コレルリ、テッド・ゴッビ、アルド・プロッティetc。頭に蘇る今は亡き名歌手達の名前を想起しただけで 今だ胸の高鳴りを覚える程素晴らしい顔ぶれ スター達の宝庫の様である。そしてその一角に確実に位置するのが この【世紀のバリトン”】エットーレ・バスティアニーニであった事も又、確かな まさに歴史的真実である。
(ルチアーナ筆。)
★バスティアニーニは最後まで自らの病状を公にせず しかし当然放射線治療の副作用により その声は徐々には波状を来たす様になる。世間はそれを オーバーワーク 過密スケジュールによる声の酷使、ずさんな健康管理によるものと捉えたのである。彼を翻弄した真実、そして彼のプロフェッショナルな精神とその尊さを世間が知るのはそれから間もない残念ながら彼がこの世を去ったその時となったのである。