(ルチアーナ筆。)
我が国の女流ピアニストとして一時代を築き世界的な名声を得ていたピアニスト中村紘子女史が亡くなった。一昨年から大腸癌を患い入退院を繰り返しながらも常に積極的な演奏活動を行って来たそのバイタリティーには心から私も敬服していた。桐朋学園大学から米・ジュリアード音楽院に学び当時、史上最年少でショパンコンクールで本選に勝ち進み第4位入賞を果たすなど若くしてその才能を開花させ 以後今日に至るまで我が国のクラシック音楽界をジャンルを超えて長く牽引した事の功績は計り知れない。同時にチャイコフスキーコンクールを始めインターナショナルコンペティションの審査員を数多こなし次世代に花開くであろう人材・才能の発掘そして教育にも多くの足跡を残した事は正に芸術家としての輝ける偉業と言える。芳しい物腰と美しい言葉遣いで語られる女史の芸術的アプローチは常に一聴に価するものであり自ら体現したステージでのパフォーマンスへの自信と誇りに満ちた見解に根ざした その内容は人々を充分納得させる見事な論理と言っても過言ではなかった。実の所 私は女史の演奏を必ずしも納得の行くものとして捉えてはいなかった方で それは有名無名に関らず我々 音楽家が個々に持ち合わせる芸術に対するスタンスやはっきり言えば【好み】の問題による所が大きい。しかし それは女史の演奏がクオリティーの低いものであったなどと言うものでは当然なくあくまでも音楽に向き合う時の各々の 【肌合い】違いの問題であるやに思う。女史のピアニストとしての活動に付いてその足跡をたどれば 話は幾ら時間をかけても尽きない程の量にのぼる。それをここで列記する ゆとりはないのだが ただ一つ言うならば女史がこの世を去るには やはりまだまだ早過ぎたと言う【感】だけが心に募る。【人はいつかは必ず去り行くもの。】しかし【芸術は永遠の価値を持って生き続ける。】その運命は何ん人も変えられぬ。我が国のそして世界の【演奏史】に確実に刻まれた中村紘子女史の偉業は 今後も必ずや語り継がれて行くであろう事に疑いの余地はない。正にクラシック音楽界に咲き誇った【名花ここに散る”】の感 【ひとしお”】である。 そしてここに謹んで御冥福を祈ると共に改めて生前の中村紘子女史の偉業に心からの敬意を表するものである。