被爆地に…” 【オバマ来訪に思う。】 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
こちらもご覧頂ければ幸いです。

バラク・オバマ米国大統領が今般開催される伊勢志摩サミット出席の為、来日。サミット終了後には米国の元首として初めて被爆地、広島を訪問する事となった。任期も余すところ8ヶ月程となったオバマ氏が就任間もない頃行ったプラハ演説で高らかに述べた核廃絶の意思と平和共存のプロセス構築の推進は今だ達成の糸口すら見出せてはいない。しかしこの意思表明がノーベル平和賞の受賞にもつながった事実を顧みれば今回の広島訪問でまさに最後の花道たる所以を示す大きなメッセージが新たに述べられて然るべきだと考えるのは私だけでは決してあるまい。そして世界で唯一の被爆国である我が国が核兵器の全廃と恒久平和を求め、たゆまぬ努力と数多のメッセージを発信し続けて来た事は戦後史を語る上で特筆すべき事であるのも又、明らかだ。その意をたいして戦勝国であり当の原爆投下の当事国、米国大統領としてのオバマ氏がどの様なメッセージを発信するかは今から大きな関心事と言えよう事は当然である。同時に米国内では原爆投下により終戦を早め、結果としてより多くの戦死者の発生を防ぐ指針となったとの見解が主流を占めている様だが特にそれは退役軍人など先の大戦に従軍した旧兵士がまだ数多存命中でありそうした人々の間では、敵国日本軍のなりふり構わぬ猛攻に生死の境をさまよった人々が多数にのぼり戦争終結に結び付けた原爆投下は肯定されて然るべきだと考えられているのだ。日本も米国も国策として悲惨極まる戦争を愚かにも遂行した国家の罪を背負っている事には変わりはない。取り返しの付かぬ悲劇を日本も米国も目の当たりにしていると言う事だけは共通であろう。しかしここで悲しいかな原爆投下に対する評価は日本と米国とでは真逆の捉え方となる。本来大量破壊兵器である【核】は国際法上その使用は認められないと解するべきだと私は思っている。その意味において先の大戦の歴史的考察とは別に私は米国大統領に対して一言【詫び】の言葉があって然るべきと言っておきたい。現実問題としてそれは中々叶うまい!。ならば少なくとも被爆者やその親族に対して一言でも戦後あじわった筆舌に尽くしがたい苦難に対してねぎらいの言葉をかけてもらいたい。米国大統領として流動する自国の政治情勢を鑑みればここで出来る事には自ずと限界もあろう。しかし核廃絶と平和を希求すると言う理念で元首にまで上り詰めたオバマ氏には最後の最後まで、かの地においても尚、その信念を貫く姿勢を持って広く世界に何んらかの発信を示してもらいたい!。それだけを切に願ってやまない。
(ルチアーナ筆。)