人気と実力” 本物を見据える考察力。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
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山崎育三郎、何度もしつこく申し上げて恐縮だが彼は私が今まで手がけたレッスン生の中で最も群を抜く美声と天性の歌唱力を有した少年であった。初めて出会って17年の歳月が流れ私は今、出会って間もない13歳になったばかりの少年育三郎の初レッスンの記憶をはっきりと記憶している事に自ら驚愕している。アルゴ・ミュージカルの舞台で数多の子役を押し退けて主役の座を掴み2年連続で同ステージのセンターを張ったその実力はこれが小学校6年生の男の子かと俄かには信じられぬ程鮮烈なものであったが、いざ私がレッスンで接した時の育三郎の歌声は全くと言って良い程、無鉄砲で粗雑、変声期を迎える直前である条件からしてもその音域は極めて狭く私はその時ステージでのあの開放的でスピントに富むきらびやかな美声との余りのギャップに愕然としたものだった。「これは今まで口にしてこなかった事である。」即ち彼がステージで見せたあのパフォーマンスはこれ全て、ひとえに彼の天性・才能のみを最大限に駆使して繰り広げられていたものだったのだ。その時私は初めてそう悟った。迂闊と言えば迂闊である。いやしくも声楽家として多年活動をし多くのレッスン生を抱えている現状で育三郎の歌の本質を一聴で見抜けていなかった訳なのだから…!。しかしお分かり頂きたい。それ程までに全てをポジティブにカモフラージュしてしまう声そのものの言いようの無い深い魅力をこの少年はこの時点で既に潜在させていたのだ。だがこれをこのまま放置し才能の赴くまま彼に歌う事を勧めれば、早晩その才能は枯渇するであろう事も同時に見て取れた。私はそこから彼にベルカントの基礎を入念に教える事に傾注するのである。同時に変声期を迎えるこの期にステージ活動の自粛を暗に求める事も怠らなかった。音大付属高校での本格的レッスンの享受に向け、受験対応を含む総合レッスンも開始する。読譜力もおぼつかない状況下、ピアノのレッスンも開始、最も厄介な聴音・視唱も受験までの時間的制約の中、やってあげられる事は全て、私の持ち合わせている力量を洗いざらい一切をぶちまける様にこの才能溢れる少年の為オープンに隙の無いレッスン時間を構築しようと努力したものだった。そうした甲斐あってか彼の才能は瞬く間にその潜在能力を大きく開花させる。本来やりたかった筈の舞台もおおよそ2年間封印、辛抱と努力は極めて短期間で彼の歌に本質を踏まえた正規の歌唱法を植え付ける結果を導き出した。僅かな期間でありながら修練は結実するもの、これも又、才能の成せる技であろう。山崎育三郎の今日ある姿を作り上げる為のスタートラインを私はこうして彼に授けたのである。音高へは最優秀で合格、在校中の成績も申し分なし、そんなや中彼は高2になるその時を期にアメリカへの留学を果たす。丸一年、短期と言えば短期だが恐らくこの渡米は語学力の強化も含め彼に取って計り知れない経験値をもたらしたに違いない。帰国後、音高に復学した育三郎は恙無く勉学に励みクラシックの基盤を余す事なく習得、卒業と同時に最高峰・東京藝術大学を目指すが残念ながらそれは叶わなかったが私大の名門音楽大学の演奏家コース【特科】の狭き門はそれを難なくクリア、オペラ歌手としての経歴に名を刻む事への順風満帆たる新たなスタートを切ったのである。しかし彼はその途上再びミュージカルとの懐かしい出会いを果たす。そしてその時19歳の彼が取った選択・決断の道はクラシックとの決別、ミュージカルと生涯を共にすると言うものだった。今だから言うが、それは私が望んだオペラ歌手テノール・リリコ・レッジェーロ山崎育三郎が歌うモーツァルト、ロッシーニ、果てはプッチーニの諸作品が永遠に聴けなくなった瞬間でもあったのだ。昨今つくづく思う!。彼の帝劇での公演は何度も見ている。(彼には告げず、そっと行くのだが…)しかしその度に【育くん、もっと上手い筈なのに…!】確かに我が国のミュージカル界において彼の【人気と実力”】は今や飛ぶ鳥を落とす勢いであるに違い無いのだろう。しかし私に言わせてもらえば彼にはもっと【伸びしろがある。】では何故その到達点に達する事が出来ないのだろう。それは現時点で日本のミュージカル界でこれ以上の力量を誰も要求しないからである。人間求められなければ今足りているものだけで誰しも良いと思うもの。いや本人ですら、もっと上を求める必要性を感じていないのかも知れない。いやそれを気付いてもいない可能性とてある。真に価値あるものを絶え間なく希求して止まない事こそ本来、演じ手・表現者・歌い手etc広い意味で芸術に携わる者の使命である筈なのに…!その決定的な弱点を私は今、山崎育三郎の活躍の陰に垣間見てしまうのである。最上・最高とは何か!【本物を見据える考察力】これをこそまさに現場を担う全てのカンパニーに携わる人間が持たなければならないのではなかろうか!。それが克服されない限り、日本のミュージカルなど逆立ちしても欧米のオリジナル公演のクオリティーに100年経っても太刀打ちは出来まい!。そう私は確信している。最後に今一度申し上げる。山崎育三郎はこの先そうそう現れる事のないであろう稀代の才能を持った演じ手であり歌い手である。この上ない美声はまさに天性!…であるが故に今のままではまだまだ何かが足りないのだ!。勉強をして欲しい!。私の思いはそこである。それを切に望むのみである。
(ルチアーナ筆。)