享年90歳。1950年巨匠フルトヴェングラーの要請をうけベルリン・フィルの首席奏者となりフルトヴェングラー亡き後も、その後を継ぎ常任指揮者となったカラヤンのもと多年に渡り、その名演の一翼を担って活動、退団後はソリストとして、その旺盛な意欲を持って世界的に活躍の場を広げていったその姿は度重なる来日公演においても、まさに尊敬の的となる程の大きな存在感を持った一大芸術家としての足跡を残すに至った。冴え冴えと澄み渡る美音、ニコレのフルートはそれにも増して血潮にも似た人間的息吹に満ち満ちていた。超絶的なそのテクニックは比類がない。同時に本質的な【美】と格調高い表現力の妙に我々聴衆は限りなく魅力されたのである。定番のモーツァルトのフルート・コンチェルトは1、2番共にその演奏において最右翼とも目される奇跡的名演であり私もその貴重なレコードを30年来所有している。ニコレは教育者又、近現代の諸作品の初演・紹介などにも限りなく尽力した実に幅の広いプレーヤーでもあった。名だたる現代作曲家が彼に新作を献呈している事からもニコレが如何に洞察力と深い理解力、表現力を併せ持ったまさに【フルートの神】であったかがうかがい知れる。我が国が生んだ世界的作曲家・武満徹も又、彼に作品を献呈している。我が国も含めて多くの国々の人材を育成し世界の楽壇に送り出した成果も今や周知の通り。オーレル・ニコレが果たして来た半世紀にも及ぶフルーティストとしての道のりは真に【偉大な足跡】であり
その大元にはやはり彼がフルートによって醸し出す【黄金の様に輝く美音】の存在がある。偉大な師マルセル・モイーズから受け継いだ信念とも思える微塵の揺るぎもない骨格を持った音楽の壮大さ、一本のフルートから途方もない音楽的世界観を描き出すその力量には我々、凡人は只々ひれ伏すしかない。そしてその偉大なる天才は愛用の楽器を携える事もなく旅立って行った。
昨今20世紀を彩って華々しく活躍したビルトーゾが次々とその栄光の生涯にピリオドを打つ。それも又歴史の一幕であり時の流れ、摂理だろう。しかしやはり寂しさは拭えぬものだ。残した足跡が余りに偉大過ぎる。【オーレル・ニコレの死】も又、そうした悲しみと寂しさに拍車をかける。時の流れとは何んと【残酷】な事であろうか。
(ルチアーナ筆。)