言論の自由” ブーメラン効果有りや無しや! | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が韓国の朴大統領を侮蔑する記事を紙面に掲載したとして名誉毀損の罪で起訴されながらも先日行われた裁判において、一切の責任はこれを問われず無罪判決を勝ち取った。即ちこれはこの数年来ギクシャクした日韓の外交関係をこれ以上悪化させず願わくば、よりその信頼関係を回復・良好に発展させたいと言う両国政府の互いの意向を突き合わせた言わば妥協の産物として成された結果であったのではあるまいか。元々言論・出版・表現の自由は民主主義国家において何人も犯す事の許されない人々の当然の権利であって公人である大統領の動向を伝える為ジャーナリストがペンを取る事は極めて自然な報道姿勢である。それなのにそもそも、この様な事案を起訴にまで持ち込んだところに韓国側検察の根本的間違いがあったと考えるのがごく普通の寧ろ万人共通の認識であろう。私もその部分については全く異論のないところなのだ。ただしかし物事を極めて冷静に考えて見るとこの加藤達也なるジャーナリストが我が国でも特に体制よりの報道で知られる産経の社員であったと言う所に私は何か釈然としないものを感じてしまうのだ。ご承知の通り産経は読売と並んで何かに付け自民党政権の広報紙ではないかと見紛う程、体制よりの報道を行ってはばからない。現に秘密保護法の制定にも賛辞を唱え、戦争法の成立にも積極的肯定論を展開している。又、国会を取り巻き戦争法反対のデモを展開した善意の人々を中傷するが如き論評も数知れず紙面を賑わし保守派のジャーナリズムの先導役を自ら買って出ている様な状態を呈しているのだ。度々指摘している様に今日本の政治の右傾化と独善的手法はこの先益々、顕著な形として我々の日々の生活に暗い影を落とす様になって行く事だろうしその様な世情の中、かつて戦前戦中を検閲と言う名に置いて報道の自由を心ならずも放棄させられた新聞を始め数多のジャーナリズムが新たに権力の下請けの様な報道姿勢で良いのかと思う時やはり産経・読売には正直大きな疑問を感じざるを得ないのだ。釈放された加藤達也氏も報道の自由を圧殺する事への怒りと自分自身がジャーナリストとして行った行為の正当性と無罪判決は当然の帰着点で当たり前の結果であると豪語していたが、それはそれでごもっともな事なのだが、その実反面教師として所属している産経新聞の報道姿勢にも根本的な部分で報道の自由を将来貶めてしまう様な懸念が内在している事をあえて私は指摘しておきたいのだ。もしこれからもこうした体制よりの体質を持ち続け権力に対する批判精神を放棄するが如き報道姿勢を突き進むなら今回の一連の事案での主張が自らを辱める結果にややもすると変貌して跳ね返って来る事に結びつく可能性を否定出来ないと私は思う。俗に【ブーメラン効果】と言われるこのネガティヴな跳ね返りを産経は心しておく事が肝要だろう。いずれにしても報道・言論・出版etc。全ては民主主義の基本に関わる事柄である。基本的にこれら全てが自由に行われる社会こそ人が集う健全な社会そして、ひいては民主国家のあるべき真の姿である事を決して忘れてはならない!。これは人間全て共通の理念に他ならない事を改めて認識すべき時、それこそそれが正に今である。
(ルチアーナ筆。)