天使の歌声”。 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
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私が本ブログに表記した山崎育三郎に付いてのコメントに今だ多数のアクセスが集中的に寄せられている事には些か驚愕しているがまぁ~それだけ今、彼の舞台でのパフォーマンスに多くのファンの方々が熱い視線を送り支持している証であろうと改めて感じいった次第だ。そしてそんな状況にあおられて私はここ数日来、彼が【子役】の頃アルゴ・ミュージカルで演じた『フラワー』(全二幕)でのペルモ役を始め共にステージを務めたコンサートのVTRなどを久々に全て見返してみた。そしてこれらが全て初期の育三郎を語る上で決して欠かす事の出来ない貴重な資料である事の認識を新たにした所だ。今更ながらどの収録を見ても15年以上前のものとは思えぬ程今だ良質なクォリティーを保っており、この稀なる才能を持った青年の活動の原点を垣間見る事の出来る資料としてはかなりの一級品であると言う事が分かる。見返してみて改めて驚いたのはやはり『フラワー』である。当時彼はまさに子役界に彗星の如く現れた驚くべき歌唱力を有した少年であった。何一つ歌唱法に付いての知識も持ち合わせず又、適切なコンディション作りも出来ない良く言えば無垢で純粋な子供であった彼は何も分からないが故、何んのプレッシャーも無くその天性の力量を余す事なく全開させ、ひたすら夏場の過酷な日程の中、一月余り全く波状する事なく全公演をほぼ完璧に歌い演じ抜いたのであった。その開放感溢れる透き通る様な歌声は充実した共鳴と寸分違わぬ安定した音程、明瞭な言語・的確な発音どれを取っても抜群の冴えを示し共演した他の子役達が時として霞んで見える程の存在感を呈していた。私は未だかつてこれ程見事な歌唱力を持ったジュニアミュージカル出身の子役にお眼にかかった事がない!。当時これが12.3歳の少年の成せる技か?俄かには信じられない程だった事を私は今だ鮮明に記憶している。そしてその後、変声期を挟んだ一番不安定な時期、ここが私とステージを共にした時期と重なるのだが、そこは私が当然、完全ガードして乗り切った。『フラワー』の終演以降は先述の通り音高・声楽科への進学を私とのレッスンで成し遂げる。それ以降は先日表記した通りの道筋をたどり今日に至っている事は最早周知の通りである。【天使の歌声】とは世界的に著名なウィーン少年合唱団を指す定番の言葉として知られるが私は15年前の育三郎にはあえて言うが完全にこの言葉が当てはまるものと考えている。それほど迄にその歌声は清純で輝く様にきらめいていた。それが…今やどうだ!。【頭を抱えたくなる】程の変貌ぶりである。悪いがネガティヴな意味でだ。先程も【王様のブランチ】で年明けから始まる新ドラマの【番宣】に顔を連ねていたが彼の仕事として私はこれが本筋だとはどう考えても思えない。そしてそれ以上に昨今の彼の歌唱力の低下にはしつこい様だが悲しい程の想いに駆られる。事の本質を見抜くのはその道に精通した者で無くては残念ながら成し得ない。彼は今、根本的に勉強が足りない。仮に【そんな事はない!】と胸を張ったとしてもその方法が真っ当なものでないとしたなら【勉強はしていない。】のと同じである。歌い手の評価は【結果オンリー】である。【聴く者が聴けば】その精度は全て見え見えである!。ファンの方々は何があろうと彼の味方であり続けるだろう。そう言う意味ではファンほど有難いものはない!。しかし今の彼はそれに【甘えている!。】とは言わないまでも完全に安心し切っている様に思えてならない。【潜在能力の高さ】は自他共に認める所である。今私が彼に望む事はただ一つ歌に対する【誠実な対応】だけである。かつての様に【歌の難しさ】を恐れそれを払拭する為にひたすら修練に勤しんだ学生時代の実直さを思い出し基本に立ち返りトレーニングにもう一度じっくり取り組み直す事を望みたいのだ。【老婆心ながら】言って置きたいがそれを怠れば早晩、彼の才能は完全に【枯渇】してしまうだろう。私はかつての【天使の歌声】が長い道のりを経ずその輝きを失うのを見たいとは思はないのだ。しかし彼は先述の如く【知らんぷり】である。よって今の私には手の施し様がないのである!。
(ルチアーナ筆。)
☆さて今後又、私の眼前にかつての山崎育三郎に匹敵する人材が現れその将来を託してくれるものかどうか?!。それは【神のみぞ知る】である。しかし私も歳を取った。そうした機会があったとしても責任を持って指導出来る時間がどれだけ残されているだろうか?。いやはや…(笑)。