音楽家”「かくの如く立ち上がる!」 | ルチアーナの音楽時評・アラカルト。

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40年以上に及ぶ音楽家としての筆者の活動と
その経験から得た感動や自らの価値観に基づき
広く芸術、エンターテイメント等に独自の論評を
加えて参ります。現在小説 愛のセレナーデと、
クロス小説 ミューズの声を随時掲載中です。
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今般の戦争法成立と共に懸念される事とは何か。アメリカの引き起こす戦争の片棒担ぎに突き進むその過程で何が引き起こり得るのかその検証は極めて急務である。その背後に潜むもの。即ちそれはかつて我が国が歩んだ帝国主義と軍事国家としての戦争遂行の恐怖の歴史を再び繰り返す可能性への懸念である。そしてその悪しき歴史はデモクラシーの否定、人権の抑圧、事実の改ざん、報道統制と人心誘導、体制翼賛とマインドコントロール。全てが戦争の非を認めず一部軍事独裁体制の支配階級が暴走するおぞましき政治の有り様そのものなのである。物事に敏なる者なら、いち早くそうした裏に潜む悪しき影に気付き警鐘を打ち鳴らす事も出来様がやはり御多分に洩れず世の中には「のん気」な一群がいて全く今起きようとしている重大な国政上の局面を理解出来ずに無頓着に過ごしている事に私などは益々危機感を強めている所だ。そんな中特に今回、私達音楽家は有名無名に関わらず、その多くがこの戦争法の成立に断固NOの意思を明確にし、反戦平和の国民的運動に連動する数々の行動を起こしている。これは何んと言っても今迄にはおおよそ考えられなかった出来事あり、それだけ今回の戦争法の成立は表現者としての誠に切実な危機感が如実に表れたものと解釈出来るものだ。たびたび論じて来たが過去の歴史において時の権力が最も恐れたのが戦争遂行への世情的異論が拡散する事だった。彼等が自分達の意のままに戦争を遂行するその為には自由な発想も多岐に渡る意思も表現もそれは最大の罪として抹殺してしまわなくてはならない事であったのだ。その時最初にターゲットになったのが芸術に携わる者取り分け音楽家であった。【国が存亡をかけ戦っている時に悠長に音楽を奏でているとは、最も恥ずべき非国民!】これが音楽家に口汚く浴びせられた罵りの言葉である。そして音楽家は恐れ慄く中、体制に媚び心ならずも保身の為、国威発揚を目的とした軍歌を歌い、作り、奏でたのである。それはこれが非国民の誹りを免れる唯一の道であったからだ。そしてその末我が国がたどり着いた戦争遂行の結末は…!。【推して知るべし】である。今まさに戦後70年の節目を迎えたこの時に戦前戦中へと歴史の歯車は逆戻りさせ様と目論む安倍晋三なる人物が我が国の首相である事の恐ろしさと国際的にも極めて恥ずべき事態に我々日本人はもっと危機意識と羞恥心を持つべきだと私は思う。我が国を代表する著名な音楽家は数多、今回の戦争法の成立に満身の怒りを持って抗議の声をあげている。私も無名なりとも音楽家の端くれとしてこれら同胞の皆さんと意を一にして今後もこの悪法を実行させずに撤廃させるその日まで、その重要性を説いていくつもりでいる。今まさに挙って音楽家は平和と自由・民主主義を取り戻す為【かくの如く立ち上がる!】その時を迎えているのである。
(ルチアーナ筆。)